=== 設立60周年記念特集 ===

     会 員 と し て 四 半 世 紀 を 過 ご し て

東区・紫南支部
(今村小児科)     今村 正人

 設立60年、新制鹿児島市医師会は大きな節目の時、還暦を迎えた。気がついてみると、私自身、60年の歴史の半分近い26年余を会員としてお世話になって今日に至っている。この間、我国では少子高齢化が急速に進み色々と状況が変わり、自由で平和な社会にもあれこれと歪みが生じてきている。財政最優先の考え方、目先の利益の追求に汲汲とするという風潮の世の中にあっては、人の真の幸せは望めないのではないか。医療界にも大きな波が打ち寄せ、医療崩壊という言葉すら使われている昨今である。我国の医療を支えている国民皆保険制度はこの先大丈夫か?
 さて、近年の鹿児島市医師会の歩みについて2、3記憶をたどってみたい。
 太原春雄会長時代の平成3年、鹿児島市医師会臨床検査センターに全国に先がけて全自動臨床検査システムが導入された。これは実に英断であり画期的なことであった。検査の迅速化、効率化、検体処理能力の大幅な向上、優れた精度管理、省力化が進められ収益も上がり、国内外から大いに注目された。これを機に生化学検査料率は大幅に引き下げられ、会員は大きな恩恵を受けることになった。医師会立検査センターのリーダー格として一目おかれる存在であった。その後しばらくしてからは、度重なる検査点数の引き下げ。マルメ等の制度上の締めつけに加えて民間検査センターの攻勢による会員の利用率の低下などにより、特にここ数年は厳しい経営状態におかれている。淋しいかぎりである。会員の利用率が上がれば共同利用施設の強みが発揮されて会員、医師会は恩恵を受けることになる。共同利用施設を生かすも殺すも会員の意識のもちようにかかっている。
 昭和59年に開設された医師会病院の存在は非常に大きなものがある。診療科により多少ニュアンスが異なるかもしれないが、小児科開業医にとってはなんとも心強くありがたい存在である。地域医療に果たしてきた貢献は計りしれなく大きい。
 58年に及ぶ鹿児島市医師会看護専門学校の歴史にも平成23年をもって幕が引かれる。時代の流れと変化の中で止むを得ない選択だったのか、医師会の役割は終ったからなのか、財政的に担いきれなくなったからなのか、会員の意向はなへんにあったのか。看護師への要請が高まる昨今にあって未だふっ切れない感がある。
 さて、鹿児島市医師会には一部離合再編ののち現在15の支部があり、医師会活動の基本単位をなしており、会員相互の研鑽、親睦がはかられている。支部間会員数の格差が大きくなり支部活動、医師会の活性化に支障をきたす恐れがあるとして支部再編成・区制導入が検討されることになり、平成3年7月、検討委員会の答申が出されたが、諸般の事情で区制は実現をみないまま時が経過した。その後、平成11年に海江田執行部において再度新たに区制の検討が行われることになった。検討委員会、理事会で熱心な討議を重ねて平成11年7月開催の第174回定時代議員会、平成11年11月開催の第175回臨時代議員会に諮り、平成12年4月、区制が発足して今日に至っている。それまで各支部が担ってきた役割を一部残しながら、区を代議員選出、各種委員会委員選出、役員推薦の母体とするほか、自主的に独自のカラーを出して活動を行い会員相互の融和をはかる組織と位置づけられた。早いもので7年が経過し、区活動が活発になりつつあるが、全体としては未だ満足すべき状態ではないと思われる。医師会活性化のために、支部活動はもとより区活動の更なる活性化が望まれる。
 鹿児島市医師会の一大イベントであった会員・家族・従業員、看護学生、医師会職員による大運動会が中止されて久しい。工夫の凝らされたプログラムを全員で楽しみ、学生は学年対抗、会員・家族・従業員は支部対抗と競争心も駆りたてられ、この時ばかりは日常の諸々を忘れて秋空のもと爽やかな汗を流した。開会式では上町支部を先頭に各支部が支部旗を掲げて支部長を先頭にグランド1周堂々の(?)入場行進、国体選手の気分にも似て楽しいものであった。豪華な賞品も魅力であった。優勝以下の上位支部への順位賞、会員参加率の最も高い支部への団結賞に大喜びして童心に帰った。支部長は張り切っていた。参加者を募り弁当の手配をし、当日は参加者に目くばり気くばりと大忙し。大変だったが参加者は少しわくわく、同じテントの下で和気あいあい、親睦を深め連帯感が強まっていった。参加者が千人を越える大きなイベントとあって大がかりな準備、当日の運営、あと片付けと医師会職員諸氏にはほんとうにご苦労の多いことであった。心からありがたく思っている。
 以上、会員暦20数年、そのうち14年間役員を務めさせていただいたことも踏まえて経験の一端に触れ感想を述べた。いろいろなことがら、場面が思い出される。時代の流れと変化をつくづくと噛みしめている。
 医療が高度化、専門化する一方、高齢者医療・介護・福祉への比重が増大している。小児科、産科をはじめとする医療構造上の諸問題、医療制度改革、医療費抑制政策、医の倫理等々克服しなければならない重要な課題が山積している。この時に当り医師会という組織・組織力というものを今一度問い直してみる必要があるのではないか。
 このままでよいのかとの懸念を払拭することはできない。先般の参議院選挙で、今や日本医師会にとって欠かすことのできない武見敬三氏が落選したことは何を意味するのだろうか。医療崩壊だ、大変だ、何とかしなければいけないという状況の中で、是非とも武見氏には上位で再選を果たしてもらわなければならなかったのではないか。医師会が弱体化しているといわれる中でなんと危機意識の低いことか、医師会員であるという帰属意識、連帯感が大分薄れてきているのではないか。会員一人一人が今一度胸に手を当ててみなければならないと思う。選挙はひとつの象徴的な出来事であるが、常日頃、我々は会員としての自覚をもって医師会活動に関心を示し、代議員会をはじめ公の場で、あるいは個人的に発言をし、またどれだけ協力をしているのか。我々会員は医師会に守られているのだ。一方、執行部は医師会の現状について、また進むべき方向についてどれだけ必要な情報を会員に提供して会員と向き合っているか。これらが相まって健全で強固な医師会の発展が望めるのであり、このことが会員のため、市民・国民のためになることだと思う。
 設立60年の節目の時にあたり、あらためて先人が苦労を重ね英知を傾けて築いてこられた歴史の重みを思うことであった。時代の要請に応えられる一本筋の通った医師会に発展してほしいと願っている。




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