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死の前日のみすゞ(三好写真館にて)
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大正末期から昭和の始めは西条八十、北原白秋などの父親的な童謡で所謂「ファーザーグース」と呼ばれた、「みすゞ」の詩が認められるようになってうら若い母親のセンスから「マザーグース」と呼ばれた。色々な事情から(前編(T)に記述)彼女の詩は途絶え「幻の童謡詩人」と言われていたが、ある時「みすゞ」の「大漁」の詩を読んで大いに感激した童謡詩人矢崎節夫氏が「みすゞ」の弟「正祐」の所に託されていた20歳から25歳までの3冊の手帳、560編の遺稿集を発見し再び「金子みすゞ」が世に出るようになり名誉ある復活となった。(昭和15年頃)波乱万丈の彼女の一生が蘇ったのである。私も約200号の「鰯の大群」を書いた日本画のカンバスに「大漁」の詩が書いてあるのを見て非常に感激した記憶がある。
「みすゞ」没後約60年のことである。矢崎節夫氏は“「みすゞ」の童謡は日本人が子供から大人までの三世代が共有出来る文学です。読み手の人生観、宗教観の深まりという広大な広がりだ”と言っている。今では国語の教科書や道徳の副読本になって全国の子供たちが「みすゞ」の詩に親しんでいる。今後確実に人の心に広がってゆくだろう。
ここに「みすゞ」が幼い一人娘「ふさえ」の片言を愛情を込めて集めた詩を記して置きたい。全部は書けないから抜粋である事を断っておく。
*ナンキンダマ、ナガイネー、ツナガッタ
ツナガッタ、赤アカイノト黒クロイノト、オカアチャンガツナイダノ、オトウチャンニ、ミセヨウカ(みすゞとふさえの宝箱)
*オカアチャン、コノオベベヌッタ、オプウチャン、オテツダイシナカッタネ
(オプウチャン−「ふさえ」のこと)
*オカアチャン、プウチャンダッコシテ
プウチャン、テンテンダッコシテイイネ
*オカアチャン、オクチ、スズメサンミタイ
*ブドウツイテル、オカアチャンノオビ
ナイナイシテネ、コンド、オバアチャン
ユクトキ、ムスンデアゲルネ
*オネエチャンタチ テタタイテ、アソンデタネ、オプウチャンハ、アソバンダッタ。
オカアチャントアソブネ、オカアチャンハ、ユウギジョウヅネ。プウチャン、オカアチャントバッカリ、アソブヨネー
以下省略
「みすゞ」と「ふさえ」の遊ぶ様子が、愛情の深さが偲ばれる一面である(生前の「みすゞ」については前編(T)参照)
最期に「みすゞ」が一人娘のために書いた詩の一部を紹介する
*南京玉
南京玉は七色だ 一つ一つが愛らしい
人には尊いものでは ないけれど
それを糸に繋ぐのは 私にはたのしい
*月日貝
西のお空は あかね色
あかいお日さま 海のなか
日暮れに落ちた お日さまと
夜あけに沈む お月さま
逢うたは深い 海の底
ある日 漁師にひろわれた
赤とうす黄の 月日貝
*きりぎりすの山のぼり
きりぎっちょん 山のぼり
朝からとうから 山のぼり
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ
山は朝日だ 野は朝露だ
とても撥ねるぞ 元気だぞ
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ
あの山、てっぺん、秋の空
冷たく触るぞ、この髯に
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ
山は月夜だ、野は夜露
梅雨でも飲んで、寝ようかな
アーア、アーア、あくびだ、ねむたい、ナ
(きりぎりすの詩は童謡による、遺書だと言われる)
最近、昨年10月20日、NHK深夜放送で「みすゞ」の一人娘「ふさえ」の述懐を聞いた。ラジオから流れて来る「ふさえ」がどのような気持ちで生涯を送ったか、その悲しみは胸の塞がる思いがした。心に染み込んだ淋しい時代を記憶している。彼女は自殺するほど苦しいのなら、私も連れて行ってくれればよかったのにと言っている。最近になって母はなくても子は育つ、母と同じ祖母に育てられたという共通点、母との共通点、そして生命の大切さを感じるようになったと言った時は大分声も明るくなっていた。母が自分の命を絶ってまでも一人娘の私を護ろうとした心情が判って来たとしみじみと話していた。「みすゞ」の詩は今後世の中の情勢がどう変ろうとも人間に心がある限り永久に残るだろう。
編集委員会註:前編「薄幸の童謡詩人金子みすゞ(T)」は医報第8号18ページに掲載されております。

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