
文化的な観光名所が立ち並ぶ京都、春のわずかな合間にだけ可憐な花を咲かせてくれる桜、その命の儚さと、強烈な美しさにわれわれ日本人は、古来から心を惹きつけられてきた。京都のあちこちで桜が見頃をむかえるこの4月。明徳3年(1392年)というから実に600年以上前の話になるわけだが、足利幕府三代将軍義満によって創建された臨済宗相国寺(しょうこくじ)は、その折にその落慶導師を務められた相国寺三世で塔頭大光明寺の開山常光国師空谷明応和尚600年遠諱(おんき)、相国寺第九十二世で塔頭豊光寺の開山西笑400年遠諱、足利幕府三代将軍義満公600年遠忌の合修法要が4月15日(日曜日)に厳修されるために、臨済宗相国寺派である草牟田の光明禅寺の松本憲融和尚と檀信徒代表総代として参加した。
この本山行事は、4月15日の午前10時開会が予定されているため前日14日(土曜日)に京都入りした。伊丹空港で軽く昼食を済ませて、折角のこの機会に是非桜見物しようと二人して京都駅からタクシーで平安神宮に向かった。
平安神宮の社殿を囲む広大な神苑。八重紅枝垂桜の名所として知られるこの日本庭園の中でも東神苑の泰平閣から尚美館を眺める景色は、実に一枚の絵画を思わせるような美しさだった。東神苑の池の上に立つ泰平閣を桜越しに見る自然と建物の織り成すあの幻想的な風景、思わず息を飲むほどに美しい八重紅枝垂桜の堂々たる姿は、私の脳裏にしっかり焼きついている。
この平安神宮の八重紅枝垂桜は、もともと京都の近衛家の邸内にあったものを、当時津軽藩主が地元へ持ち帰り、1895年(明治28年)、平安遷都100年を記念して創建された時に仙台市長が寄贈したことから別名「里帰りの桜」とも呼ばれているそうである。桜の名所平安神宮の枝垂桜の鮮烈な感動は、何といっても1万坪といわれている神苑に300本もの桜が咲き誇るすばらしい景色といえよう。
さて、翌15日当日朝9時過ぎ、身の引きしまる思いで大本山相国寺の山門を仰ぎ、見事に手入れの行き届いた参道を清々しい気持ちで進み、受付を済ませ案内に従って控えの間で茶菓をいただき開会を待つ。
平成9年10月に参加した授戒会(じゅかいえ)のあの10年前を思い出すことだった。養源院住職の平塚景尚和尚の「授戒の心」の一節、「戒を授かることは勇気をもって生きることを誓うことです。日常目先の利害損得から解き放され、この美しい地球上に生を受けた深い喜びを味わい、生老病死の生命の宿命を見つめ、無心に行じてゆくことです」と…。
定刻10時に案内があり、控えの部屋から移動した法堂(はっとう)は、平成2年に立派に修復された日本に現存する最古の建物であり日本重要文化財の一つであることは承知していたのだが、授戒会の時、有馬頼底管長様から戒脈のために登壇した須弥檀や、天井一面に大きく描かれた蟠韻図は、今回が2度目で法要が進行するなか私ども檀信徒は座したまま感銘深く拝観させていただいたわけだが、改めてその重みに感無量の思いがしたのである。
禅は鎌倉時代に日本に伝わり、建仁寺、東福寺の創建とともにその中心は鎌倉からこの京都に移るわけだが、先に少しふれたように相国寺を創建し、京都五山制度を確立した足利幕府三代将軍義満公600年遠忌を記念して開催される。江戸中期の画家伊藤若冲の作品を集めた「若冲展」は、相国寺承天閣美術館で5月13日から6月3日までだったので、このタイムラグは如何ともしがたく拝観できないのが少しばかり心残りがした。
合修法要後引き続き大型バスに移乗して食事会場へと向かった。フランス料理をいただきながらワイン片手に当時に思いを馳せるとともに、有馬頼底管長、北上泰山宗務総長外多くの相国寺本山役員和尚様と千載一遇の機会にめぐり合い、50年に一度の授戒会の参加そして今回の遠諱諸行事は、一生に一度の稀有の法縁であった。
(6月13日 前玉水会事務長)

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