
順を追って事の次第を辿ってみよう。
『水無月』吉凶糾える日捲り
6月1日:長男嫁Y子の誕生日。亡妻と全く同名。何たる因縁、忘れ形見の再現か。
6月2日:亡妻、Y子、闘病1年有余、末っ子に後ろ髪惹かれつつ他界。立派な闘い振り、天晴れ。昭和54年。死因、肺癌。法名、釈尼芳信。俗名、芳子、享年51歳。南無阿弥陀仏、合掌。
6月10日:外孫、S君♂誕生。小学生。平成8年。
6月11日:内孫、T嬢♀誕生。高校生。平成2年。
6月17日:亡父、法名・平等院釈光潤、俗名・等、享年72歳。半年間臥床の末冥土逝き。死因、胆道癌性悪疫質。昭和41年。奇しくも今年の祥月命日は所謂父の日。偶然の一致也。
6月25日:孝志、誕生。元気な産声だったろな。満82年昔の事実は戸籍上に記載。
『文月』逢い結ばれ、幽明境を隔てて
昭和14−19年、月末は夏の遊泳演習、休暇が年中行事。回り燈篭の如く蘇りくる。まるで夢のまた夢。
19年7月末、長兄、南海の孤島サイパンで玉砕戦死。遺品皆無。南十字星と椰子の林に見守られて永久の眠り。法名・泰祐院釈玄誠、俗名・脇丸俊夫・享年25歳。遺志を継承。
31年7月末、不肖、孝志、故妻と運命の出逢い、そして電撃結婚。鴛鴦の日々数えて23年間、本当にご苦労だったなあ。3人の遺児達、素直に成長して夫々に、鹿児島、東京、高松に安住の地を定め、孫も〆て8人、小学生から大学生まで全員健やかなるぞ。安心せい。
『葉月』古今未曾有、一億総懺悔の
何と言っても待ちに待った夏季休暇の事ども、走馬灯のように巡って懐かしいなあ。これら全て月末、昭和14−18年にかけて遊泳演習に引き続く年中行事。そして、止めは原子爆弾2発の洗礼、ソ連参戦、米英中ソのポツダム共同宣言を受諾。やむなく無条件降伏、8月15日、未曾有の敗戦で廃墟から苦難の道程、祖国再建へ。奇跡の復興、よく頑張ったなあ。幾百万人の尊い犠牲者の方々あってこその現在、その賜物であることを決して忘れまいぞ。想い出すまま私事の述懐は緑陰の夢、汗顔の至り。

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