高 山 彦 九 郎 山 河
| 西区・武岡支部 （老健さるびあ苑） 濵田良二郎 |
もう旧聞になるが、平成18年7月31日、作家の吉村昭氏が膵臓ガンで死去、その死について、8月26日の新聞は、お別れの会で、妻で作家の津村節子さんが吉村さんが点滴の針を自らむしり取り「自分の死を自分で決めた」と壮絶な最期の様子を明らかにしたと報じ、文春10月号には、「私は目の前で、彼が“自決”するのを見てしまった」、とサブタイトルのあるお別れの会の挨拶全文が掲載された。
「点滴を引き抜く」、「IVHを引き抜く」、「PEGを引き抜く」、時には気管カニューレを引き抜くケースさえある、私の母も意識が混濁してからだったが、点滴を引き抜き、IVHを引き抜いた。
それが、氏の場合はそれで自決とあったので、確とした意識があって、さらに手記にはない余程の何かがあったのだろうと、氏の死を想い、本棚にあった何冊かの氏の著書を眺めて見た。そのほとんどは前に目を通したものだったが、中に、医学とは関係があるまいと思ってまだ開いてもいなかった一冊があった。
「高山彦九郎山河」である。
高山彦九郎と言えば尊王の志士、氏と尊王の志士とはなんとも釣り合わない、と思いながらページをめくると、氏が彦九郎に興味をもったのは、解体新書の中心人物の前野良沢を調べているうちに、彦九郎が良沢の子息、“達”の親友で、よく良沢の家に出入りし、寝泊まりまでしていた間柄ということを知ってからとある。
尊王についても、彦九郎のそれはなにも右よりのそれではなく、当時は徳川幕府の天下、そんな中で天皇の味方をしたのは、今風に言えば反権力、反体制の社会思想家であったからで、それを狂信的な尊王論者にしたのは戦時中の軍国主義者たち、彼らが勝手に事実を歪曲して作り上げた虚実なのだと擁護している。
彦九郎は、最後は追い詰められて久留米の地で自刃して果てるのだが、それについてはここでは触れない。
彦九郎の波乱の一生は何もそこまで、と目を見張る思いだったが、なかでも強く驚かされたのは、「生前、信仰の山である富士山に登ることを切望していた父の代わりに登山、吉田町の登山口から苦労して富士山にのぼり頂上を達して下山した。その間、彼は霊峰を汚さぬように四日間断食して排便をしなかった」とある件である。
その頃、あまりにもの登山ブームが気になっていた。
まずは平成18年5月31日の新聞記事である。
世界遺産の屋久島で、観光ガイドら27人がし尿を入れた5Lと10Lの容器を交代で背負い、縄文杉近くの高塚小屋のトイレから11キロの麓まで運んだとある。ティッシュなどのごみは割り箸やひしゃくで取り除き…、2重の容器に入れ、さらに外側をポリ袋で包み…、運んだし尿の総量は150L…、トイレの容量は200Lで混雑時は二日で満杯になる、これまでは近くの山に埋めていた云々、とある。
同じ5月の8日には、N氏のマナスル清掃登山2週間のレポートがあり、これまで各国の多くの登山隊が捨てて来たごみ100キロを集めたが、その作業中ほとんどの登山隊が排泄物を氷河に埋めて来ていることを知り、これでは村の飲み水が汚れると、自分たちは携帯用トイレを設置して、可能な限り土のある下まで運んで処理してきたとあったが、しかし、それも可能な限りとあり、それに、16日、同隊の女性隊員がマナスル登頂に成功、N隊の清掃活動に花を添えたとある。
今、山に登る人が多い。多すぎる。世界の最高峰に登る、厳しい冬山を登る、それも植村直己氏のように一人ではなくそのほとんどが沢山のシェルパを引き連れて、ガイドに連れられての登山である。
平成18年5月17日の新聞に、両脚義足のニュージーランドの登山家が途中義足が折れるアクシデントを乗り越えてエベレスト登頂に成功したとある。
後日、このニュージーランドの登山隊は40人もの大勢であったのに、途中意識を失って倒れていたオーストラリアの登山家を助けようともせず登山を続けたと報道された。
そのオーストラリアの登山家は幸運にもアメリカの登山家に発見されて奇跡の生還を果たしたのだが、後日の新聞には、それに関連して、助けもせず…はなにもニュージーランド隊に限ったことではなく外にもあり、今、登山家のモラルが問われている、とある。
また、19日は、日本人某氏が70歳7ヵ月13日の最高齢でエベレスト登頂に成功の報道である。しかし、この記録は平成19年5月22日、71歳2ヵ月2日の同じ日本人によってあっさり更新された。
さらに、別の73歳が近い将来、世界最高齢の記録更新をねらって準備中とあった。
世界最高峰のエベレストがこのラッシュである。ましてや外の山は…である。
平成18年5月5日の新聞に、好天に恵まれ縄文杉は人、人、人、最高の891人、とある。さきの屋久島のし尿運搬はその後始末であったのである。
過熱する登山ブームで、山が汚れ、自然環境が破壊されると危惧する声も強く、それをうけて、平成18年7月23日のサンデー毎日は、あえて言おう「百名山に登るのはヤメなさい」と題した記事を載せている。
百名山病の患者みたいな人が多すぎる、ハイシーズンは百名山は大混雑、槍も穂高の鎖場やハシゴも、順番待ちの登山者で大渋滞…、丹沢山頂は踏み荒らされて無残な裸地に…、マナー崩壊の山が続々…とあり、たくさんの登山者が山を踏み荒らす、土が流出する、自然の山の中に土留めが打たれる、木道が造られる、トイレはないか、あってもすでに満杯、それが汚いとトイレ以外の処で用を足す、湧き水が、渓流が、し尿で汚染、それにトイレがあるところはその始末が大変とある。
高山植物の宝庫、岩手県の早池峰山では登山口で、携帯トイレを販売、し尿は持ち帰ってもらうことにしているのだが、いまだに山中で用を足す人がいるので、湧き水や沢の水をのむ場合は加熱するように呼びかけている。山頂のトイレは、月に一度、ボランティアが担いで下ろしているとある。
そして、その8月10日、“45年越しライフワーク、「日本百名山」を踏破、開聞岳と霧島皮切り、黒部五郎丘で達成”の記事である。達成者は、「百名山というブランドを追いかけ山を征服するのではなく、素晴らしさを感じさせてもらうという姿勢が必要」と殊勝なコメントなのだが、“踏破”である。
踏破を辞書で引くと、困難な道、または長い道のりを歩き抜くこと、とあるが、ここでは直截に踏み破ると読みたい。
踏み破る方は気持ちいいだろうが、踏み破られる方はたまったものではない。
踏破する側の視点だけで踏破される側の想いは無視である。
山に登る、緑を歩く、その人は癒される。しかし、その分、自然は汚れて、壊される。
人には自然が、緑が必要という。しかし、自然と緑にとっては人は不必要、と言うより、むしろ厄介者、人は自然と緑に片思い、自然と緑はそれを迷惑な付きまとい、ストーカーと思っているに違いない。
今、環境が、自然が、緑が大事、それを守れ、と口ではいう。
それを、重装備で登る、大人数で登る、それも多数のチームが…、それだけでも大変な自然破壊なのに、加えて、ごみ、そしてし尿である。
今時、高山彦九郎のように4日も絶食して登るわけには行くまいが、せめて、彦九郎の気概だけは…、そう思った事であった。
なお、屋久島では今もし尿の人力運搬が続けられているという。
(C)Kagoshima City Medical Association 2009