
医師でもない私が離島医療を論ずることは不似合いですが、島に生まれ、島に育ち、島で働いた者の立場から離島医療を眺めてみました。
鹿児島県内の離島住民は救急医療を始め、専門的な治療を要する病気では市医師会の先生方に大変お世話になっています。本当に有り難うございます。
さて、我が国では国民皆保険制度によって、いつでも、どこでも、だれでも、平等に医療が受けられる制度になっていますが、離島や僻地では市町村の規模や財政状況、人口構成、自然条件や地理的条件などによって、十分な医療施設も整備されないまま、国民健康保険事業を始めたところもあります。
私が就職した甑島も、医療施設は整備されないまま国保事業が発足した村でした。そんな時、私はこの小さな村の民生課国民健康保険係として昭和31年8月に就職し、国保税の徴収を担当することになりました。
当時のこの村では国民健康保険事業に反対する住民運動が激しく起こり、国保税の不納運動が展開されていました。
税金の徴収に行くと必ず住民から云われたことは「医師もいない、診療所もない、病気になっても、薬も貰えないのに、どうして国保税を納めなければならないのだ」
「国民健康保険事業は病気になった時のためにあるんだろうが、病気になっても何もしてもらえない保険事業なんてやめてしまえ」
「税金取りたかったら、医師を連れてこい」
と散々罵られながらの毎日でした。
これまで、島では医師がいないため、盲腸炎でなくなった、ケガをして出血多量で死亡した、子宮外妊娠で内地の病院に船で運ぶ途中で亡くなったなど数え切れない悲劇が起こっていました。そして多くの住民が病魔に侵され、医師を求めて「先生助けて」と叫びながら息を引きとって逝きました。
この悲しみの歴史が国民健康保険事業の反対運動の根底にある以上、むしろ、住民の云っていることが正しいのだから、村は医療施設の整備と医師を始め医療従事者を確保し、住民のニーズに答えることが行政の使命です。
それ以来40年間、絶えず住民の側に立って村の医療行政に携わってきた、その集積として、平成10年9月に南日本新聞開発センターから「先生助けて 離島の医療を求めて25年」という題で自費出版しました。
このノンフィクションの本の中から小学館のヤングサンデー編集長の目に留まったのは、5年目にして出会った「現代版赤ひげ先生」と云われるようなすばらしい医師と巡り合うことが出来て、この医師との出会い、ふれあい、語り合い、そこから生まれる助け合いによって20年間も勤務して貰っている、医師と行政マンと住民との人間ドラマでした。これをモデルに離島で働く医師の姿を若者向けのマンガにして、ヤングサンデーに連載したいということでした。
それから2年後の平成12年8月から週刊誌ヤングサンデーにDr.コトー診療所という題名で6年以上連載されており、単行本としてもヤングサンデーコミックスとして20巻まで発行されています。
更に、平成16年10月から12月までと平成18年10月から12月までフジテレビによりドラマ化され、「Dr.コトー診療所」として全国に放映されました。
マンガの単行本は発売以来通算で900万部売れており、ドラマの放映では視聴率23パーセントと大好評であったとのことでした。
マンガやドラマのモデルとなった薩摩川内市下甑町の手打診療所の瀬戸上健二郎先生の著書「Dr.コトーのモデル Dr.瀬戸上の離島診療所日記」は離島医療の現場から勤務しているものの立場で生の声を描いたものであり、私の著書「先生助けて!Dr.コトーを探して」は市町村の側から医師確保の現実を描いたものです。
この2冊の本はドラマDr.コトー診療所の放映と同時に昨年10月に小学館から発刊になり全国の書店で発売されました。
この機会に離島医療についての理解を深めて頂き、一人でも多くの方が離島の診療所に勤務して下さることを願っています。
ここ2、3年地域医療が危ないとか、小児科や産婦人科の医師が足りないとか、最近では看護師まで足りないと云われるようになっていますが、離島僻地では、今に始まったことではなく、既に50年前から云われていますが、未だに解決されていないのです。
いかにマンガやドラマに人気があっても、現実は今なお厳しい状況にあるようです。離島医療は個人の力ではどうにもならないことです。國や県や市町村が一体となり住民と関係市町村がお互いに協力しなければ解決しません。

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