
私が初めてパリを訪れたのは、1983年、文部省在外研究員として1ヵ月半滞在した折であった。その主な目的は、産業中毒学の領域で世界的に高名であったパリ第4大学(薬学部)のRen
Truhaut教授(中毒学・産業衛生学)のところでお世話になるためであった。
以後、この都市には訪欧の機会に3度ほど立ち寄ったことがあったが、今年(2007年4月)、英国での国際会議出席の折に、8年振りに訪ねてみた。
パリ国際大学都市とパリ日本館
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パリ日本館の外観
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日本館の「欧人日本への渡来の図」
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既に訪れた方もあろうかと思うが、パリの南端第14区には、1925年にフランスの文部大臣アンドレ・オノラの提唱により創設された40haという広大な敷地面積を有するパリ国際大学都市(Cit Internationale Universitaire de Paris)がある。ここは、パリ大学を始めとする首都圏の高等教育機関や研究機関に在籍する世界各国の学生や研究者に宿舎を提供し、併せて、文化・学術の交流を推進することを目的とした学術施設である。ここには、本部の建物のほか宿舎用建物が37館あり、約5,500人の学生や研究者が居住していて、その出身国数は130以上という。
これらの建物の一つに、パリ日本館(正式名称:「パリ国際大学都市日本館−薩摩財団」)がある。この名称は、1920年代後半、当時駐日フランス大使だった詩人・劇作家ポール・クローデルによる日本館建設の提唱に、日本人実業家の薩摩次郎八が私財を投じて建設し、これを大学都市に寄贈したことに由来する。その後、日本政府の予算により2度の全面的改修工事も行われ、現在に至っている。
実は、ここは私が文部省在外研究員としてパリに滞在した折に前任教授の北原経太先生のご紹介で宿泊したところで、今回、どうしても再訪したいと考えたところであった。
建物は、日本古来の城郭を模した地上7階建て(写真)で、館の周囲には日本庭園がある。館内には、学生・研究者の居室のほか大サロン、図書室、談話室、アトリエなどが設けられていて、大サロンと玄関廊下には、それぞれ「欧人日本への渡来の図」と「馬の図」の名がついた藤田嗣治作の大きな素晴らしい油絵が掲げられている(写真)。
今回の訪問でも、建物自体は以前とあまり変わりはないよう見えた(内部施設は、IT時代にふさわしいように改修されているというが−)。しかし、以前は自由に出入館できた入り口は厳重に閉鎖され、入館できなかった。この4半世紀の世界情勢を反映した治安対策の変化を、図らずも垣間見たことであった。
幸い、散歩に出掛けようとしていた館長夫妻にお目に掛かり、入館して内部を案内して頂き、感傷旅行に彩を添えることが出来た。
ルネ・デカルト大学医学史博物館
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シャルコの臨床講義絵画
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経穴を印した人体模型
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パリ大学は、12世紀まで遡るヨーロッパ最古の大学の一つである。地下鉄オデオン駅近くの医学校通りに1795年に衛生学校として設立されたパリ大学医学部は、その後曲折を経て、現在は、ルネ・デカルト大学(Universit Ren Descartes)(パリ第5大学)と呼ばれている。予てからこの大学にある医学史博物館(Muse d'Histoire de la Mdecine)を訪れたいと思っていたが、開館時間の制約などから果たせなかった。今回は、念願が叶って入館することが出来た。
久し振りに大学の建物の中庭に入ると、以前と同様に、臨床医学と病理解剖学を結びつける偉業を果たしたビシャの全身ブロンズ像が立ち、1階の回廊の両側には、近代精神医学の創始者ピネルなどこの大学縁りの偉大な医学者たちの胸像などが飾られていた。
初めて2階へ上ってみると、廊下の壁面には、シャルコ(Jean Martin Charcot)が臨床講義をしている大きな絵画が展示され、そこには、女性を支えているバビンスキー反射の発見者バビンスキーなども描かれていた(写真)。
医学史博物館は、建物の3階にあった。3.5ユーロ支払い入館すると、館内には大きな2階建ての体育館のような空間があり、左右の壁面と真ん中のフロアに陳列ケースが並んでいた。ケースの中には、ギリシャ・エジプト時代から近代までの医学の発展を時代別に解説を付けてあり、各時代のさまざまな医学関係の歴史的器具などが陳列されていた。
その中には、各種外科手術器具、補聴器、顕微鏡、麻酔器具、気管カニューレ、心電計、内視鏡、化学実験道具などがあり、針治療の経穴を印した17世紀の人体模型(写真)や、ナポレオン一世を解剖したという解剖セットなどもあり、大変興味深いものであった。
しかし、フランスの施設ではよく見受けられることだが、解説はすべてフランス語のみで記載されていて、それらの詳しい内容は、当日買い求めたフランス語のガイドブックを、帰国後に辞書首っ引きで翻訳して確認せざるを得なかった。
ともあれ、この領域の歴史に関心のある方には、一見の価値がある博物館である。
ヨーロッパで管見した中国パワー
今回、パリなどヨーロッパを訪れて垣間見たのは、中国パワーの大きさであった。例えば、中国語で大声で会話するビジネスマンを多数見掛けた。売店では、日本の新聞は全く売っていなくても、中国語の新聞はかなり多く売られていた。
団体で貸切りバスや遊覧船に次々と乗って旅を楽しんでいる中国人観光客も多数見掛けた−以前よく見掛けた旗を掲げてぞろぞろ移動する日本人観光客のように−。また、これら観光客目当ての現地の物売りは、以前は「千円、千円」と日本人を意識して近づいてきたが、今回は、「ニーハオ、ニーハオ(こんにちは)」といって声を掛けてきた。
最近、外務省が、英国、ドイツ、フランス、イタリアの欧州連合(EU)主要4カ国の有識者を対象にして実施した対日世論調査の結果を発表した。それによると、「今後重要になるEU域外の相手国」としては、全体では中国が最も多く(39%)、次いで米国(27%)、インド(12%)などで、日本は9%に過ぎなかったという。
今回の訪欧では、外務省調査結果と同様に、中国の影響力が着実に大きくなって来ている様子を実感することが出来た。
ともあれ、「改革開放」政策で著しい経済発展を遂げている一方、貧富の格差拡大や汚職の蔓延などなどさまざまな問題を抱えている大国中国が、今後、どのようになっていくか、大変気になるところである−尤も、憲法改正なども具体的日程に上ってきている昨今の日本の情勢を振り返ると、よその国の将来ばかりを心配してはおられないだろうが−。

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