緑陰随筆特集
「 昭 和 回 顧 」が 意 味 す る も の は |
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故久松静二監督の「警察日記」(日活、昭和30年公開)は、昭和20年代後半の会津磐梯山地方を舞台にした映画だ。
「はあー、会津磐梯山は宝の山よ」で有名な民謡の合唱が田園にこだまする光景で始まる映画は、田舎の警察と庶民との心温まるエピソードを綴った人情劇。
主人公の警察官が捨て子の幼い姉と弟を預かるが、姉が知らないうちに赤ん坊の弟がよそに預けられたことを知り、弟を探し回るシーンには思わず泣かされる。
幼い姉を演じたのは天才子役と言われた二木てるみで、まだ5歳。そのあどけない表情を見るだけでもこの映画は価値がある。
そんな人情劇とは別に、この映画が貴重なのは、当時の農村の風景と農村生活がリアルタイムで描き出されている点だ。
舗装されていない道路を、今はほとんど見られないボンネットバスが走り、そのバスにお寺で結婚式を挙げる花嫁が乗る。
バスでは、結婚式に出席する客らの一升瓶の回し飲みが始まり、酔った客が運転手にも酒を勧め、断り切れない運転手が「まいったなあ」と1杯飲むシーンも。今では考えられない光景も、当時の交通事情では、さほど問題にはならなかったのだろう。
バスがほこりを上げる道の沿線は、収穫が終わった田んぼが続き、田んぼには藁小積みが並ぶ。バスの進路をふさぐのは荷物をたっぷり積んだ馬車。「ああ、日本にもこんな農村風景があったなあ」と感動させられる。
共同体破壊の元凶は?
こんな古い映画のことを書くのは、豊かで人情深いそんな農村風景が、姿を消しつつあるからだ。減反で農地は荒れ、中山間地は過疎と高齢化に悩む。
人間関係が濃密で、自然が豊富な“村の風景”というのも、めったに見られなくなった。それどころか、65歳以上の高齢者が50%以上を占める「限界集落」が全国各地に増え、共同体が消滅する危機にさえ瀕している。
20世紀の終わりごろまでは、まだ、地方の集落を大切にするという発想が生きていた。国土保全の観点から過疎地、中山間地を守ろうという模索もあった。
だが、21世紀に入って「国土の均衡ある発展」という発想は失われ、効率化優先で「村」への逆風が吹き荒れたように思う。
2001年4月から06年9月まで、5年5ヵ月間政権を担当したのは小泉純一郎氏だ。そのかつての盟友は「YKK」の山崎拓氏と加藤紘一氏。
その旧盟友の加藤氏が、6月末に「強いリベラル」(文芸春秋社)という本を出版した。
出版されたばかりの本を読んだ。加藤氏は「小泉政権以降、自民党ははっきりと市場原理主義に軸足を移した」と批判し、「その市場原理主義が地域社会や会社、家庭という共同体を破壊した」と痛烈に批判している。
実際、小泉政治に関しては、金融機関の不良債権処理などの功績は評価されるが、あまりに急激な経済効率優先、競争原理重視主義が地方をずたずたにしたと、怨嗟をもって語られる。
加藤氏は先の著書で、@創意工夫の農業A世界的な視点を持った地方産業の育成―などを地域再生策として掲げた。
特に、農業の再生と地方産業の育成は、鹿児島県が抱える最重要課題でもある。加藤氏の提言に率直に耳を傾け、疲弊の極にある地方の振興策を模索したい。
ノスタルジーの時代
「地方切り捨て」と言っても過言ではない小泉政治への反発が背景にあるのだろうか。現在の日本列島には、高度成長期直前の昭和20年代から30年代を懐かしむ空気があふれる。「ノスタルジー(郷愁)の時代」と呼ばれるゆえんだ。
そんな風潮の火付け役になったのは、05年に公開され大ヒットした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に違いあるまい。
東京タワーが建設され、スーパースター長嶋茂雄氏がデビューした昭和33年の東京の下町を描いた作品は、当時の生活、風景をコンピューターグラフィクス(CG)でリアルに再現、特にこの時代に小学校中−高学年を迎えていた団塊の世代の共感を呼んだ。
当時は、ホリエモンの錬金術など、過度のマネーゲームに批判が集中していた時期。主人公たちの、貧しくも額に汗して働く生き方に共感を覚えた人が多かったのも、ヒットの源泉かもしれない。
ノスタルジック・ニッポンの現象は、現在も続いている。
「三丁目の夕日」に続いたのは、漫才師・島田洋七氏が、祖母との清貧な生活を描いた「佐賀のがばいばあちゃん」。書籍シリーズは400万部も売れ、昨年公開された映画も、ミニシアター系では異例の大ヒットになった。
その後も、主人公がタイムスリップして、東京五輪が開催された昭和39年の東京を体験する「地下鉄に乗って」(昨年公開)、昭和40年代と現代が交錯しながら描かれる、リリー・フランキーのベストセラー映画化の「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」などが続く。
こうした昭和回帰の背景にあるのは「あのころは良かった」という魂のつぶやきではないか。つまり、古き良き時代への憧憬。
政治には、なぜこうした現実逃避とも受け取られる現象が相次いで起きるかを多角度から分析し、軌道修正すべきは大胆に修正する決断が求められる。
日本の原風景再生を
手元に「昭和の鹿児島−写真で甦る、あの頃の記憶」という本がある。帯には「もう一度会いたい、故郷の原風景」。東京の出版社、「生活情報センター」が昨年末に出版した写真集だ。
日本の古里をテーマに、全国各地の風景を残したプロカメラマン薗部澄さん(故人)と、鹿児島市内のアマチュアカメラマンらが撮影した昭和20年代から40年代までの250枚を掲載した。
まず、表紙の写真に引き付けられる。昭和29年の桜島で撮影したという写真は、石畳の小道で子どもたちが遊ぶ光景。
全員裸足で、赤ちゃんを負ぶった子どもが交じる。今ではほとんど見られなくなった風景が、記録されているのがうれしい。
先の「警察日記」で見た農村風景の“都会版”か、鹿児島市内の舗装されていない道路をボンネットバスが走る風景もある。この写真も昭和29年撮影。「警察日記」と時代が重なる。
筆者は昭和23年生まれ。今、何かとお騒がせの「団塊の世代」の一員だ。田舎育ちだから、田園に藁小積みが並ぶ風景などには郷愁を駆り立てられる。
しかし、単なる郷愁だけで「昔は良かった」と思っているのではない。それは、昭和回顧に浸る多くの国民も同じだろう。
ノスタルジー現象が収まらないのは、富める者と貧しい者、首都圏と地方との格差が広がり、努力すれば報われた「古き良き日本」を懐かしむ思いが国民に芽生えつつあるからではないか。
筆者が小学校高学年を過ごしたのは宮崎県境に近い旧財部町(現在の大隅市)。当時、この地方の小都市に映画館があったことを知らない人が多いだろう。
当時は、地方が活気にあふれ、人々は豊かで、共同体も確立していた。そんなパワーあふれる地方=故郷の再生、つまり「日本の原風景」を取り戻すことがこの国のさらなる発展のために重要だ。

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