鹿市医図書室

『 見 え な い 壁 』
中央区・中洲支部
(放射線科内科池田診療所) 池田 耕治

見えない壁』(河村秀敏著 高城書房
平成19年2月15日発行)

 この本は鹿児島市医師会会員で、雑誌『原色派』同人の河村秀敏先生による創作15周年を記念して出版されたもので、8作品からなる短編作品集である。
 『病める海』は大分から鹿児島の地へ医師を志して進学した主人公を通して、当時の学生生活と、思いを寄せる女子同級生の住む東京への憧れ、そして30年後の再会などが臼杵の城跡から見える海の情景を基軸に描かれている。
 『遥かなる子守唄』は、幼くして家族を失い、異郷でのインターン生活を選んだ主人公が、さまざまな人々との出会いと別れを経験しながら、目標とすべき医師像を模索していく過程が描かれているが、作品はこれで終わらない。短い研修期間の終わりには驚きの結末が待ち受ける。
 物語の展開もさることながら、何よりも、これら二つの作品には、当時の医師を目指す青年像が、かつて医学生であった著者によって精緻に再現されている。また、舞台が地元・鹿児島ということもあり、ついつい読み手の記憶と同一化して、いつの間にか作品の中の青年を「追体験」しているのである。
 表題作『見えない壁』は大学医局を舞台としている。ここに描かれる医局は実在こそしないが、何処の医局にも同じような事柄は起こっているのかも知れない。但し、過去の話である。今頃このような医局はありえない!本当に?
 大学病院勤務の兼任講師である主人公は、若くして逝った後輩の学術論文をめぐる教授の理不尽な裁定に対して、医局の運営会議に抗議を申し入れた。その結果、学会誘致に全てをかける定年間近の教授の思惑や、次期教授をにらんだ医局の権力闘争など、得体の知れない「壁」に彼自身もすでに取り囲まれていたことを思い知らされる。彼のその後は?「医学部の研究室には厚い壁が張り巡らされている。・・・・・学閥とか閨閥などとマスコミが報じるのは、そのごく一部に過ぎない。勿論外部から壁の中を伺い知ることは出来ないし、中にいる人間にすらみえない壁である。」
 『呪われた乳房』は人間の欲望と怨念を浮き彫りにしたミステリーである。因果応報。中央署嘱託医を務める著者ならではの、法医学の知識に裏打ちされた描写には真に迫るものがある。
 『七つの質問』は尊厳死、『遺言』は相続問題である。『鎖を解く犬』は教育について、親子の価値観の乖離と、そこから脱出していく息子を題材にしている。最後に『霧の記憶』。母親の最期を看取った青年。赤の他人であるこの青年に母親は厚い信頼と愛情を注いでいた。青年は何者?
 この四つの作品何れもが、開業医としての長い経験からにじみでる人間の営みへの深い寛容性を髣髴とさせる。



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