慌ただしい年の瀬が過ぎれば、もうお正月。子供の頃ならすぐお年玉を連想したものだ。
人それぞれに万感の思いのこの頃だろうが、わが家の正月に準備するものの一つにお屠蘇がある。この屠蘇だが一説には、約1700年前の中国の習慣で蘇(ソ)という鬼を屠(ホフ)る魔除けの意味だったとも言われているが、わが国でのこの習わしは平安時代の初めに伝えられ民間に広められていったという。
幾種もの薬種を調合し日本酒に浸して置いて、元旦の朝家族が一堂に集まり、全員で新しい年の始まりを祝いながら盃を交わすという大事な儀式となったらしい。
日本民族のいわば国酒でもあるこの日本酒は、古来お神酒(ミキ)と呼ばれており人と人が出合う神事にはなくてはならない酒だったのである。神様との交流をはかり、人間関係を丸くするという潤滑油としてのすばらしいお酒の効用が巧みに生かされてきたと言えよう。この日本酒だが昨今の焼酎ブーム、なかでも「本格芋焼酎」におされて人気低落がいわれて久しい。清酒の品質表示の曖昧さのため、冷酒大好きの私は、「純米酒」と「米だけの酒」とは同じものと思っていた。
しかし「米だけの酒」には「純米酒」とはどこにも書いていない。価格は「米だけの酒」は「純米酒」にくらべて割安だ。私自身割安の「米だけの酒」は飲んだことはないのだがどう違うのか少し調べてみた。実は、「米だけの酒」は「純米酒」とは全く別物ということがわかった。割安の分だけうまくない。やはりうまさ、おいしさも値段次第ということか。
日本酒は、原料に醸造用アルコールを添加するか、原料となる米の精米歩合が高いか、この二通りの基準で区分けしている。
純米酒は、醸造用アルコールを加えず尚且つ精米歩合が70%以下のものらしい。精米歩合は、製造の過程で米の外側から削って米粒が残る度合いを表わすもので、比率が低い程削ってしまう量が増えるからその分多くの原料米を使うことになるわけだ。従って割高になることもこれまた当然のことなのだが、香りの高いフルーティーな吟醸酒は60%以下、大吟醸酒にもなると50%以下の山田錦とか。
東京の娘が送ってくれるこの冷酒は、もうたまらなくうまい、日本料理大好きの私などこれに限る。どうして「米だけの酒」が出現したのだろうか。主因は市場縮小への危機感だと言われている。
まず最初に知恵を絞って開発したのが「澤の鶴」で遡ること8年前1998年(平成10年)のことだ。醸造用アルコールは加えないが、あまり米粒を削らない酒をつくり出し、「純米酒」の二つ目の基準を満たさないから「米だけの酒」と名付けたというのだ。
日本酒は、焼酎やビールに比べ、原料費が高くなる。標準的な日本酒の出荷価格に占める原料費の比率は約5割だと言われている。原料費の節約で安くなった「米だけの酒」には他の酒造メーカーも次々と開発して、「米100%の酒」として市場が広がっているという。
精米歩合を抑えると端麗さが落ちると言われるこの難しい日本酒。しかしメーカーによってバラツキがあるようで、安い米を使うと日本酒のうまみが十分でないらしい。
その点「純米酒」は米の品質に基準があって農産物検査法の格付け三等級以上となっている。
平成16年4月から「純米酒」だと思って買う人のために、紛らわしい商品にはラベルの見えやすいスペースに、「純米酒ではありません」といった表記を加えることになっているので確認してから好みの日本酒を買うことが出来るわけだ。それでも日本酒の消費量は一向に伸びないらしい。
日本人は世界に冠たる「酒好き民族」のようだが、この血はどうやら遠く神代の昔に遡る。日本歴史書の古事記、日本書紀には須佐之男命(スサノオノミコト)という神様が、ヤマタノオロチという頭が八つ尾が八本の大蛇を泥酔させて退治する話など、酒好き民族ならではの楽しい神話が伝えられている。
万葉集では、貧しい人が雪の差し込むアバラ屋で、糟湯酒(カスユザケ)をすする山上憶良の貧窮問答歌(ヒンキュウモンドウカ)も有名だ。
酒好きの万葉歌人としても知られ、また大伴家持の父でもある大伴旅人は、「酒を讃むる歌」を13首も採用されている。そのうちの一首、「なかなかに、人とあらずは、酒壺に成りにてしかも 酒に染みなむ。」つまり、なまじっか平凡な人間であるくらいなら、むしろ酒壺になって、どっぷり酒につかりたいものだという心境か。これぞまさしく酒仙と言うべき。素朴な万葉人らしい酒好きの心理がストレートに出ており吹き出しそうになり、なんともおかしい。そんなに飲んで二日酔いは大丈夫かな、アルコール中毒にならなかったものだろうかといらぬ心配しきり。
ところで9月26日には、美しい日本づくりを掲げて戦後生まれの首相、安倍晋三内閣が発足した。
美しい国日本のキーワードの一つに昭和30年代への郷愁が伺える。昨年大ヒットした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を観た。昭和33年建設中の東京タワーの下町が舞台だ。
この中で売れない小説家が、恋人に指輪を買ってやれず指輪の箱だけをプレゼントする。
恋人は、小説家に見えない指輪をつけてもらい、うれし涙を流す。安倍首相は話題の著書「美しい国へ」の中でこのシーンを次のように絶賛している。「お金で買えない価値の象徴である」と。
昭和30年代の前半といえば、国民の生活はまだまだ苦しかったが、戦後の絶望からは少しずつではあるが立ち直っていく実感をもって目を輝かせており、子供たちも将来に向かって夢があったように思う。
その後日本は、高度経済成長を達成し、世界第二位の経済大国にまでなったのである。
しかし30年代にもっていた夢を失ってしまった日本。これが遠因となって学校崩壊、凶悪犯罪や児童虐待の急増などに繋がっているのではないかという見方もある昨今だが、その頃の安倍首相は、4、5歳の少年。当時の首相と言えば、祖父でもあり、尊敬する政治家でもある岸信介総理だ。強い憧れを感じておられるのかも知れない。だからこの年代の日本人の心の復活を求めているようにも思われてならない。
単なるノスタルジーにすぎないのか、経済の繁栄を維持しながら日本人独特の心をブレンドした新しい国づくりが出来るのであろうか。さまざまな改革問題、外交問題を抱えての若い安倍首相の手腕がこれからの見どころだ。
ともあれ、わが家はお屠蘇を準備して、娘、息子が毎年送ってくれる日本酒で、清々しい新年を迎えることにしよう。(11月16日前医療法人玉水会事務長)
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