本誌第8号に、「アルコールはこのままでよいのか」の最終校を送ってまもなくの8月25日、福岡市の職員が酔っ払って車を運転、猛スピードで家族5人が乗ったRV車に追突、その車を橋下の川中に転落させ、幼い子供3人を死なせる事件が発生した。
マスコミはこれを大きく取り上げ、以後、一気に飲酒運転追放の機運が高まった。
しかし、その後も、警察官が、教員が、消防署職員が、税務署職員が、公務員が、自衛官が、新聞記者が、飲酒運転そして事故と、報道が相次いだ。
9月22日には、なんと「ビール片手に無免許運転」とあった。
しかし、これらの報道が効果してか、9月21日から30日の交通安全運動期間中の飲酒運転の検挙数は昨年より1,271件少なく、例年の6割に減少、しかし、それでも全国では3,856件、逮捕者は218名に達したという。
以後、飲酒運転報道は少なくなった。しかし、その頃から報道はいじめ一色、いじめ自殺が相次ぎ、飲酒取締りが手薄になって、ここに来てまた飲酒運転事故報道が増えて来た。
11月21日、「飲酒運転防止を県民運動にと知事が旗振りをしたばかりの○県で、タクシー運転手が11月に2度目の飲酒運転摘発」、同日、奄美市職員が、30日、与論町職員が、と立て続けである。
平成14年だったか、飲酒運転の罰則を重くして、反則金もそれまでより大幅にアップした。加えて運転者自身はもちろん、同乗者も、そして運転をすると知りながらアルコールを提供した者も罰するという厳罰対策によって何とか飲酒運転をなくしようと、取り組んで来たのに、取締りが手薄になればこの様である。
それも、熟知した人がする。指導する立場の人がする。
どうしてこうなのか。
現在、呼気1リットル中、アルコール0.15ミリまでは捕まらない。
アルコール好きはこれをいいことに、少しなら飲んでも大丈夫、ビールなら1本までは、焼酎も一合までなら大丈夫、と平気で飲む。
法がこれだから、「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」、と、酸っぱく言われているのに守らない、呼気1リットル中0.15ミリまでは良いのだ、このぐらいなら大丈夫、なあに見つかる訳がない、万一検問にあっても、水でも飲んでゆっくり検査を受ければ大丈夫、と平気で飲んで乗る。
昔、植木等がスーダラ節で、「ちょいと一杯のつもりで飲んで,…」と歌っていた。「…気がつきゃホームのベンチでごろ寝、これじゃ身体にいいわけないさ、分かっちゃいるけどやめられない、それ…」、と続くのだが、今、ベンチでごろ寝はせず、寝るのは我が家、飲んで自分の車で帰る。そして、今は、身体に加えて、飲酒運転は悪だ、犯罪だと知りながら、飲んで自分の車を運転して…。分かっているのにやめられないのだ。
曾ての10数倍増の反則金に加えて停職、それにしばしば懲戒免職にもなる、一生をふいにする。それなのに、どうして飲んで車に乗るのか。
平成18年10月6日の新聞は、今年になって、飲酒あるいは同乗したりして懲戒処分を受けた警察職員が4日までに26人になり、昨年1年間の25人を越えた、26人中停職が20人、免職が2人、と報じた。そしてなんとその翌日も、また千葉県の巡査部長を飲酒運転で懲戒免職の記事である。
懲戒免職になった警察官が、「どうにも飲みたかった、つい飲んでしまった」と告白していた。今にしてなおスーダラ節なのである。
平成18年10月1日の新聞は、夜の天文館で飲酒を取材する記者に、「平気、平気。おれ強いから」と悪びれない若者や、「飲酒して何が悪いんだ」と毒づく中年男性…、枕崎では酒酔い運転で8月に逮捕された男性が免許取り消し処分の翌日、再び飲酒運転の現行犯で捕まっている、と、罪悪感の薄さを嘆き、焼酎には何の罪もないのだ、社会が、個人がモラルを、と訴えている。
しかし、本当に、焼酎、アルコールには罪はないのか。
飲酒運転をしたら懲戒免職になる、停職になる、下手をすると刑務所も待っている、一生を棒に振る、莫大な賠償金もとられる、それなのにどうして飲むのか、どうして飲酒運転をするのか。
曾て、私がアルコールに淫していた頃、アルコールが人生を充実させる、人間を大きくする、と勝手な理屈をつけて飲んでいた。酔う程に天下を取ったつもり、矢でも鉄砲でも…、家に帰るのを忘れる。先に、天文館で取材する記者に食ってかかる酔っ払いの記事、曾ての自分と重なる。
サントリーの「響」の宣伝に,「飲酒は20歳を過ぎてから お酒はなによりも適量です」、とある。しかし、その適量が難しい。「響き」は1本30万円もする高価なウイスキーだから適量も可能だろう、適量より何より高すぎて普通の人には手が出ない。しかし、身近には手頃な値段のアルコールも多い、飲むほどに酔い、酔ってさらに飲む、アルコールがアルコールを呼ぶ。
平成18年9月25日の新聞は、平成13年、酒気帯び運転ではねた相手を意識不明にした男性に3億円の賠償命令が出たと報じた。
飲酒運転はする人が悪い、飲酒運転を厳罰にしろ、と自己責任を問う風潮が強い。裁判はこれをさらに後押しした。
飲酒運転はいけない、やれば一生を台なしにする、それを知りながら、それをする。一杯のつもり…、しかしアルコールが入るとそれを忘れる、飲むつもりがアルコールに飲まれ、アルコールに支配されてしまう。
アルコールによるトラブルは何も飲酒運転に限らない。9月15日、先に、泥酔のあげく痴漢行為をしてW大学を追われたばかりのU教授がまた同じ痴漢行為をして逮捕された。W大学を追い出されて直ぐM大学に就職しているので、学者としては優れているのだろうが、アルコールが入ると、一変して痴漢である。10日には、福岡県職員が慰安旅行先で酔って女性を襲っている。
10月3日、「酔っ払ってタクシー強盗」。同日、天草で18歳の高専生が酒に酔って校舎の4階から転落して重体と報じた。
転落事故に関連しては、前に、救急外来の7.3%が飲酒酩酊による事故、そのトップが転落、2位が交通事故、3位が喧嘩ざただったという報告もある。なにもこの高専生に限らないのだ。さらには10月8日、高校生151名が集団で飲酒とある、予備軍も一杯いる。
もう随分前の話だが、体内に入ったアルコールを分解する過程で麻薬様物質ができるという報告がある。アルコールで依存症が起こり、依存症の人に禁断現象が起きるのはこの麻薬様物質のせい、依存症が起こって当然、という報告である。
常識もモラルもなくなり、してはいけない飲酒運転や痴漢をするのはこの麻薬様物質のせい…。8月25日のあの青年も、当時の報道には、「あの真面目な青年が…」と話す人たちの声を紹介している。
飲んだら乗るな、乗るなら飲むな、痴漢などもってのほか、と知っていて飲む人の責任は確かに重大なのだが、すべてが飲酒者個人の責任なのだろうか。製造・販売した側に責任は全くないのであろうか。
2月、某蔵元が、県の施設に自社の名前を冠した。10月、別の蔵元がH市の体育施設に自社の名前を冠した。蔵元は潤っている。
酒税は14年連続で増加、平成17年度は過去最高額に達したという。国の財政が酒税で成り立っている。アルコールにおんぶされている。
勘ぐれば、交通取締で、呼気1リットル中0.15ミリまでなら捕まらない、は、ひょっとすると財務省の思惑…、昔、煙草で財務省と厚生労働省が角逐、それを今、警察庁と財務省の間でそれ、その折衷案が、0.15ミリ…、少しのアルコールもだめと0.00ミリにしたら国の財政が成り立たない、少々の飲酒運転は認めよ、とせめぎあっての、0.15ミリではないのか。
M新聞のN氏の「悼」に、「バカだよ!、飲まなきゃいいのに。でも、飲んじゃったんだ、しかも毎日。死因は肝機能不全…」とあった。
私の畏友D君も、勝ち目の少ない弱者の弁護活動に日夜明け暮れ、その癒しを毎日のアルコールに依存…、期待の星だったのに早世した。
飲酒トラブルが多すぎる。
早急な対策が必要なのだが、しかし、その対策が何とも難しい。
全国各地で、議会が飲酒運転撲滅を宣言した。
居酒屋は車で来た客に代行運転を勧めている。
熊本の某ゴルフ場が施設内の食堂でアルコールの提供をやめた。
自治体や会社は飲酒運転をしない誓約をした。職員もした。
警察は、法を厳しくし、広報、取締まりに力を入れた。一人一人のモラルをと訴えてもいる。
それでどうなったか。
10月13日、「福岡県T市で飲酒運転撲滅提案者の市議が酒気帯び」と報じた。
10月5日、代行運転業者が飲酒運転で逮捕、とある。
アルコールの提供をやめたゴルフ場に追随するゴルフ場はなかった。ゴルフと風呂とビールのセットはなかなか切り離せないと見える。
教員や公務員、それに取締まるべき警察官も捕まっている。
「飲酒運転はしません」と宣言をした自治体や会社が多かったが、「私共の職場では会議はもちろん新年会や忘年会もアルコールは一切禁止にします」そんなところはなかった。飲酒は続くのである。
社会や個人のモラルには限界がある。
「禁酒は絶不可能」
となると、ここは一つ、法務省と警察庁に期待、まずは現行の呼気中0.15ミリを0.00ミリに改正、ビール1杯もだめ、ちょっとでもアルコールが検出されれば飲酒運転にする、飲酒運転が減る、他の飲酒トラブルも減る、と思うのだが、浅慮、短絡に過ぎるであろうか。
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