緑陰随筆特集
「 軒 下 の タ マ ネ ギ 」の 風 景


エフエム鹿児島社長 大囿 純也


 10数年前、入来で畑地が付いた空き家を買い取り、以来いろいろ野菜を作っている。当たり前のことながら、素人なのでどれも出来はよくない。たまに豊年満作となればなったでこれまたおおごとだ。ナスやキュウリは日持ちがきかない。処分に困る。それなら最初から2人で食べきれる量だけ作ればいいものを(と、そのたびに家内が意見するのだが)生来欲が深いせいで、ついどっさり蒔いたり植えたりしてしまう。
 その点、タマネギは優等生だ。丈夫な苗を選びさえすればあとは草取りのほかには何の作業もいらない。玉がむき出しで太り具合がいつも見えているから収穫のタイミングを誤ることもない。何より保存性が抜群によろしい。掘り上げたのを1日畑で乾かし、数個ずつ縛って軒下につるす。これが昔からの方法だ。
 私は持ち帰って紫原の自宅のベランダにつるす。いつも身近にないと、いざ入用というときに間に合わない。洗濯物にかわって、ある日突然ヒゲをゆらゆらさせてタマネギがずらりぶら下がるのだから、通りを行き来する人たちの目が気になるが、同じような風景を先日電停近くの家の玄関で目撃した。ぶら下がっていたのはほんの数個だったから、たぶん花壇の隅かプランターで栽培したのだろう。ま、それほどにタマネギは優等生、素人向きということになる。
 この季節、軒下につるしたタマネギの風景には、あの「戦争の時代」の、鮮烈な記憶のひとこまが重なる。それはまるで、モノクロ映画のそこだけをカラーで焼きつけてつないだような、とでもいうか。
 昭和20年の夏を、小学校2年の私は疎開先の薩摩郡の鶴田村で迎えた。警官の父に何回目かの召集令状が来たため、家族は母の実家がある同村の紫尾(しび)に引っ越し、叔父の家(この人も出征して空き家になっていた)に住んだ。
 叔父の家は紫尾温泉からの道路が宮之城と鶴田へ分岐するところにあり、小さな雑貨店を営んでいた。当時の田舎には珍しいガラスケースなどがあった。裏はぼうぼうと広い田んぼが広がっていた。
 その日も、田んぼを真夏の風がねっとりとわたっていた。昼近く、たぶん親戚の家からの帰りだったと思うが、家のあたりが時ならず騒がしいのが遠くから見えた。縁側に10数人もの「兵隊さん」が腰を下ろしていた。みんな大声でしゃべっていた。兵隊さんであることは服装からすぐわかったが、銃はなかった。剣もつけていなかった。
 隣の農家(といってもかなり距離があったが)からもにぎやかな話し声が風に吹かれてかすかに聞こえてくる。あちこちの民家に分散して休憩しているのだろうか。
 母は、ずらりと居並ぶ兵士たちの頭上につるしたタマネギを、せわしげに取り込んでいた。それを指さしてなにやら説明している男もいた。せっかく昼食に立ち寄っていただいたのに何も出すものがなくて・・・とうろたえる母に「ここにあるタマネギでよろしい」とか、そんなやり取りであるらしかった。
 私は泣きたくなった。このタマネギもそうだが、何日かごとに私と3歳上の兄は川沿いの道をさかのぼった母の実家に出かけ、なにがしかの野菜やイモをもらってくるのである。道は昼も暗い杉の巨木が茂り、日が暮れるとあちこちに青白い光が揺らめいていて、自分の草履のぴたぴたという音が、背後にとりついた鬼火(実はこのころ、河川敷ではなかば公然と牛の密殺が行われていて、鬼火の正体はその牛生骨の発する燐光であることをあとで知った)の仕業であるように思われ、生きた心地はしなかった。そんな必死の思いで運んだタマネギを、この男たちは大勢で食い尽くそうとしている。
 しかし、なぜか怒る気にはなれなかった。
 兵隊さんは、子供にとって近寄りがたい存在だった。まだ本土空襲が激しくなかったころ、鹿児島の荒田のわが家には父母の郷里の出身らしい現役兵士が休暇のおりによくやってきた。鼻歌まじりで軍足など風呂場で洗濯していた。みんな気さくな人たちだったが、一種形容しがたい「兵隊の匂い」がした。やっぱり恐い存在だった。縁側に足をぶらぶらさせているこの男たちとは、まるで違った。それは目の前の男たちが銃も剣も持っていないせいもある。しかし、それだけではなかった。
 出征していた父は終戦から数ヵ月して帰ってきた。すぐにもとの警官に復職し、私たち一家はあわただしく紫尾をあとにした。あの、縁側でタマネギを食い尽くして去った男たちが、父同様の何度目かの召集で集合地へ向かう近隣の村の在郷軍人たちであったこと、その途中で「8月15日」を迎え、命令は解除となりそのまま村に引き返したこと、を母たちから聞いたのは、父の赴任地の大口について間もなくであったように記憶している。

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