緑陰随筆特集
モ ウ チ ョ ウ 雑 感


鹿児島市医師会事務局長 馬原 文雄


 およそ人間の臓器の中で、その機能が明らかになっていない?、どちらかというと「不要なもの」と思われている臓器とは。
 言うまでもなく、それはモウチョウ(虫垂)である。
 本当に不要なのかどうか、なかには必ずや何らかの機能を果たしており、それがまだわからないだけだという人もいるようだが、いまのところ無くても生きていく上で支障はないらしい。しかし、そんなモウチョウも、ひとたび暴れだすと大の人間ひとりを奈落の底に落としこむ。たかがモウチョウごときに何と情けないことかとも思うが、しかし、逆に考えると、このことがその人の生活に警鐘を鳴らしてくれているのではないかとも思える。そういった意味では大きな役割を果たしているのかもしれない。
 つい最近、私もそんなモウチョウとおさらばをした。
 それまでなんとも無かった私のお腹が、ある夜急に痛くなった。時が経つにつれ痛みは増し、我慢しきれず一晩じゅう転げ回っていた。翌朝病院に行くと、モウチョウ(急性虫垂炎)とのこと。原因がわかってホッとした反面、初めてお腹を手術することに対する一抹の不安が同居する。担当の先生から詳しく説明を受け、不安を払拭し手術をうけた。
 それからの入院生活は、点滴にしばられ、ガスが出ないなど何かにつけて不安な気持ちもあったが、それも、毎朝の先生の診察と、看護師さんの24時間とおしての手厚い看護を受け、徐々に安心感へと変わっていった。
 生命を預かる医師と、それを支える看護師の仕事の崇高さに、何ものにもかえがたいものを実感した。と同時に、今回の医療制度改革に対して疑問を感じずにはいられなかった。
 高度の医療が提供され、私たちが安心して生命を預けられるようにするためには、それなりの医療費が必要なのは当然ではないのか。日本の医療費は、対GDP比で見ると8%前後とのことであり、これは、アメリカやフランス、ドイツなどの諸外国と比べてもかなり低くなっているようである。
 国民誰もが、いつでも安心して受診できるようにするには、皆保険制度を充実することこそ必要であり、要は税金の使い道を「もっと国民の生命のために」ということではないのか……。
 たかがモウチョウの手術をしただけで、このようなことを感じた次第である。
 いま、私はモウチョウの警鐘により日夜食生活を大きく?かえる努力をしている。


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