緑陰随筆特集
ア ル コ ー ル は こ の ま ま で よ い の か
たばこ産業が落ち目という。工場閉鎖が相次ぎ、規模を縮小、ＪＴが抱えていたバレー部もとうに廃止された。
たばこは肺ガンの原因、食道ガン、喉頭ガン、心筋梗塞もたばこが原因と指摘され、医療機関・公共施設内ではもちろん、私的な施設でも禁煙、あるいは分煙が一般的になってきた。一家の主が、家に帰っても室内での喫煙は許されず、暗くなったベランダで吸ういわゆる蛍族が話題をさらったのも記憶に新しい。
昔から、たばこは国家の大きな収入源、それを背景の財務省と健康を云々する厚生労働省はたばこを巡って角逐をしてきた。各出先では、保健所とたばこ産業、あるいはたばこ耕作組合との角逐があって、これまではどちらかというと、厚生労働省、保健所サイドの旗色が悪かった。
ここに来て、攻守所を変えつつあるようだが、たばこ業界の実力はなお健在、喫煙者も結構いて財源の大きな部分を占めている。それを裏付けるように、毎年春先、たばこの種蒔きにどこそこの市長が参加している姿が報道される。
健康被害をもたらすたばこを市長がその種蒔きに参加して応援するとは何事かと思うのだが、市の財政を預かる市長としては大きい財源の団体を無視できないのだろう。
それでもたばこは確実に斜陽産業になってはいる。
テレビ、雑誌からたばこの広告が消えた。
たばこのケースにも、「喫煙は心筋梗塞の危険性を高める」、「肺癌の……」、「周りの人の健康に悪影響を与える」などと書かざるを得ない状況にある。
と言って、安心はできない。喫煙者はそれを無視、大人はもちろん、高校生が、中学生がたばこを吸い、それに若い女性の喫煙率は上がっているという。
それをうけて、喫煙による疾病予防のための禁煙対策委員会が設置され、保険対応が認められた禁煙外来もあちこちで活躍中である。
これに対して、アルコールはどうか。
新聞、テレビ、雑誌、街角の広告に、ビール、焼酎、酒、ウイスキー、ワイン、の広告が一杯である。殊にビールの広告は大仕掛けで、有名人がテレビの中で如何にも美味そうにビールを飲んで見せる。平成18年７月13日の新聞は、上半期のビールの出荷数はキリンが朝日を抜いてトップと報じたが、出荷総本数は大瓶換算で50億本というから驚く。
これに対して、焼酎もここに来て急成長、今や押されもせぬ全国区、どの焼酎メーカーも増産に次ぐ増産で、昨年など原料のさつま芋が足りないと悲鳴が聞かれた。
幾つもの幻の焼酎も生まれ、法外な値段で取引され、造る端から売れる、完売どころか造っても造っても足りない、それを背景に工場の新設・増設が相次ぎ、収入が数倍増してか、先には多額の金を出して県の施設に自社の名前を冠して宣伝する蔵元も現れた。
その焼酎ブームをうけて、地元の大学になんと焼酎学講座ができた。
国も自治体も国民もこぞってアルコール、アルコールである。
もっともアルコールは今に始まった訳ではなく、神代の昔から、アルコールは人々の必需品で、戦国の武士たちも明治・大正・昭和の文士たちもそれをこよなく愛でてきた。
・酒は百薬の長
・白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
・味噌なめて晩飲む焼酎に病なし煤け嚊にしゃくをさせつつ
・酒と言う字を見てさえ嬉しきに呑めという人神か仏か
格言や歌にも取り上げられ、アルコールは社会の潤滑油、人生の活性剤、芸術や文学の生みの親、明日への活力剤、と持て囃されて来た。
確かに、そういうプラスの面もあるのだが、最近の状況はプラス面とは反対のマイナスの面が強くなって来ていると言わざるを得ない。
若者の飲酒、殊に高校生の飲酒、毎年のように、高校野球部員の生徒が飲酒、甲子園出場を辞退という報道を聞く。
その他、今年に限っても、Ｋ大生が集団女性暴行、Ｋ大元アメフト部員らが二人の知人女性を泥酔させたうえで暴行。
本県でも、某高校女性教諭の飲酒轢き逃げが大きく報道された。代行運転で一旦は家に帰ったものの、時間を置かずにコンビニに自家用車を運転、自転車の17歳男性をはねて死亡させそのまま逃げて捕まった。
宮崎では、焼酎ドクター、醸造専門だかの大学教師の某がゴルフの帰り、酒気帯び運転で、近くは、某町と某市の収入役が飲酒運転で逮捕と相次いでいる。
この種のトラブルの多発も問題なのだが、さらに厄介なのは依存症であろう。
アルコール依存症は本人もだが、周りの、殊に家族の苦しみは筆舌に尽くせない。
飲む、それも朝から、昼間から、夜はもちろん夜中まで、仕事はしない、借金、下手に意見をすれば暴力である。
このアルコール依存症が、昭和60年には220万人、平成７年には、240万人という。これは多分重症例、軽症例を含めると如何程になるのか。
私事だが、私は、今、アルコールを飲まない。しかし、昔は酒浸り、毎日のように飲み、帰りはいつも遅く、しばしば午前様。
初めて焼酎を飲んだのは確か大学に入って２、３ヵ月目、その頃は、今のように部活なんてなかったから強制されて飲んだ訳ではなく、知り合った２、３人で焼酎を買い、それを下宿で飲んだのが初めてであったが、私は初めから強く、その日、４合ほども飲んだのにけろりとしていた記憶がある。
卒業して、飲む機会が増え、酒量が多くなって、それとともにだんだんアルコールに弱くなり、飲むつもりが飲まれるようになり、どうして家に帰ったのか、だれが送ってくれたのか、タクシー代は払ったのか、記憶を失うようになっていた。そのブラックアウトの何回目かの朝、家人の横っ腹に青いアザがあった、尋ねると、酔って帰った私に突き飛ばされ柱の角で打ったのだという。
これまで二度程あった、これまでは怪我はなかったが、昨夜は酷かった、死ぬかと思ったという。
「ひょっとすれば殺していた」、生来の小胆者、愕然であった。その頃、飲む機会が多く、嫌々の飲酒もしばしばで、二日酔い、三日酔いをするようになっていた、加えて軽い膵炎症状が起きていたこともあって、それ以来懺悔の断酒である。あれがなかったらどうなっていたか、その後も飲み続け、今頃は肝か膵かの重度障害、それがなかったらきっと依存症になっていたろう。
アルコールを飲む、酔いが回る、楽しい、前頭葉がマヒ、理性がなくなる、さらに飲む、抑制されていた古皮質が動き出す、本能が表に出る。あのおとなしい人が……、みんなが驚くような事を仕出かす。
天下のＫ大生の集団暴行もきっとそうであったろう。
将来性のある高校女性教師がどうして轢き逃げをしたのか。
明るく、元気、活発で教育熱心、将来を期待されていた筈である。
アルコールを飲んでなかったなら決してする筈がなかった事、それを飲んだばっかりに。
焼酎のビンやビールの缶に、「飲酒は20歳になってから」と書いてはある。
しかし、効果はなく、大学生になったら飲む、大学生どころか高校生が飲む、中学生が飲んでいる。
以前、某大学の新入生歓迎会で一気飲みを強制された前途有望なる医学生が死亡して大きな社会問題になった。以来、大学ではそれなりの対策もとられてきてはいる。職場でも、飲んだら乗るな、乗るなら飲むな、と言っている。しかし、その程度である。さきの収入役も常日頃、口ではそんなことを言っていた筈である。
1920年、酒害に手を焼いた時のアメリカ政府は禁酒法を制定した。
法律でアルコールの製造、販売を禁止したのだが、しかし結果はざる法でアルコールを求める民衆は闇酒に走った。それに目をつけたギャングが暗躍、酒の利権を争い、それに勝利して頂点にたったのがあのアル・カポネという。
それがあって禁酒法は1932年にあっけなく廃止されている。
人間とアルコールは切っても切れない仲、全面禁止は到底無理としても、なにがしかの規制はあってしかるべきではないか。
平成18年２月７日の新聞は、「飲酒原因の犯罪の多発に困り果てたタイ政府は、アルコールの広告を全面禁止」、と報じた。
酒害は当の本人はもちろんだが周りも大変である。酔って帰った主人の世話をする奥方たち、夜の盛り場で酔っ払いの世話をするお巡りさん，酒による犯罪，そして依存症……。
加えて、焼酎カスも大きな問題である。以前、焼酎カスの不法投棄がしばしば報道された。焼酎カスは、一部は家畜の飼料などに利用されているが、大部分は廃棄されるので、その処理が問題になる。
昭和62年、県内の96の焼酎工場は、総計22.6万トンの焼酎カスを処理したという。内、10.6万トンが海洋投入、9.3万トンが農地還元、残りは中和して処理、一部が家畜の飼料として使われている。
翌63年は、27万トンに増えているが、それが平成16年には、工場が117になり、焼酎カスも47.8万トンに増え、その37％が海洋投入されている。
海洋投入、海洋投棄ではないのか、と聞くと、「投棄ではありません、投入です、焼酎カスを海中に入れるとプランクトンが増え、魚の養殖につながります」、と言っていた。
しかし、海洋投入はやはり問題だったようで、平成19年度から海洋投棄は原則禁止、これをうけて平成18年７月15日の新聞は、カス無発生「焼酎」開発と報じた。
これで焼酎カス問題は一挙に解決というのだが、カス無発生「焼酎」の設備には漠大な費用がかかり、全ての蔵元がおいそれとそれに転換するとは思われない。曾て、焼酎の大量生産の近代化を設備費の問題などで見送った幾つかの蔵元が、今、幻の……と思わぬ幸運に恵まれた話もある。焼酎カスはこれからも問題であり続けるに違いない。
あの報道された人達、飲酒をしたことで有意な人生を台無しにし、きっと今、何たる事をしたのかと後悔の極にいるに違いない。
あれ程ではなく、私ほどでなくても、一歩間違えば、大事に至っていた「ひやりはっと」の体験者は案外多いのではないか。
今も焼酎ブームが続いている、宴会の入りはビール、後はやはり焼酎である。
平成18年３月28日、「いつか全員で飲もう、スポーツ少年団が作った200本」と新聞が報じた。焼酎予備軍はごまんといる。
そこに、平成18年２月14日、「鹿児島大学に焼酎学講座開設」の報道である。
焼酎の生産技術者を大学で養成し、よい焼酎を造り、焼酎王国のさらなる発展飛躍が期待されている。
うまい焼酎ができる、大量に生産される、愛好家が増え、消費量が増える、比例してアルコールによるトラブルが増え、アルコールで泣く人が増える、アルコール依存症もきっと増える。
禁酒は無理、せめて節酒、しかし、その節酒が難しい、健康作りの現場で、酒は一日一合半、焼酎なら一合、週に２日は酒をやめて肝臓を休ませましょう、と言っても守られない。アルコールは麻薬以上に厄介である。
曾て、私に一歩間違えば殺されていた家人、あの頃、きっと、世の中になんでアルコールがあるのだろう、アルコールさえなければ、とアルコールを限りなく憎んでいたはずの家人は、今、毎晩、決まって 1 合ちょっとの焼酎を如何にもおいしそうに飲んでいる。一端の焼酎党を自認、「一日の疲れが取れる、これで食欲が出る、これがなかったら……」焼酎の効能を語り、幻の焼酎を、あんなものとけなし、夏はこれ、冬はあれ、香りが、味が、……、などと、飲むほどに饒舌になって、延々と語り続けるのでつい相槌が遅れる、すると、すかさず、「聞いてるの」、「聞いてるよ」、「聞いてないじゃない」、「……」、「昔は……」と、ねちねちが始まる。それが始まると、いや、始まりそうになると、早々に我が部屋に退避、そんな毎日である。
昔の私に比べれば何ほどのこともないのだが、この程度の酔狂も相手するほうは難儀である。
焼酎は、家庭の団らん、明日への活力剤、社会の潤滑油、よいことずくめのようなのだが、一方で、必ずトラブルがおきる、先の大学生がそうだし、高校女性教師がそうである。その極に依存症がある。
・Bucchus kills more than Mars
・渇して死ぬは一人、飲んで死ぬは千人
と警告する諺もあるのだが、スイスのある駅に、「酒は天地開闢以来未来永劫にわたり人類の敵である、しかしながら、聖書には汝の敵を愛せよ」とあると言う、アルコールは一筋縄では行かないのだ。
「上戸不知毒、下戸不知薬」、前者は毒と知りつつ飲み続け、下戸は薬と言われても飲めない。
健康被害をうけて煙草の広告は禁止されている。アルコールの健康被害は決して煙草に劣らない。逆に煙草を大きく超えて悲惨である。
これが医薬品ならとうに規制であろう。
新設の焼酎学講座に酒害対策を期待したいのだが、期待とは裏腹に、焼酎カス対策が向上、うまい焼酎ができる、飲む人が増える、それにつれてトラブルも増える、そう思えてならない。
（老健さるびあ苑 いちき串木野市）
このサイトの文章、画像などを許可なく保存、転載する事を禁止します。
(C)Kagoshima City Medical Association 2009