随筆・その他
甲 南 免 疫 懇 話 会 二 百 回


   四本皮膚科アレルギー科クリニック  四本 秀昭


 今月の9日朝、7時30分、小雨の中、武町にある小生のクリニックの小部屋に肥後公彦先生、興和新薬の林さん、科研製薬の沖さん、田辺製薬の米田さん、大鵬薬品の山下さんがやって来た。199回目の免疫の抄読会である。インスタントコーヒーを飲みコンビニのサンドイッチを食べながらしばらくは世間話をする。お天気の具合、近々開かれるサッカーワールドカップの事。鹿児島のシニアサッカーリーグの話。鴨池で21日に予定されているJリーグ、ナビスコカップの事など。サッカーの話題が多いのは今も肥後先生と小生がボールを蹴っているからである。この博識のドクターから48歳の時に甲南クラブの練習に誘われ、以来健康管理のつもりで練習や試合に顔をだしている。4月の試合で相手チームのフォワードのシュートを止めにタックルにいった際、相手のけり足がもろに右下腿外側に当たり右の半月板の水平断裂をおこした。新村整形外科で右ひざにアルツをうってもらっていることなど話しながら朝食がそれぞれのおなかにおさまり抄読会が始まる。毎月「臨床免疫」から3つの話題を小生が適当に選び当番を決め、読んで頂く。今月は小生が、経鼻ワクチンによる糖尿病の治療の論文、肥後先生がピロリ菌と胃がんの論文、山下さんが植物アレルゲンの論文であった。すぐに診療に結びつく訳ではなく、分子生物学を学んでいない我々の世代には難解な論文が多いのだが正直なところよくもこんなに長く続いてきたなと我ながら感心する。
 この会は平成元年に始めたのらしい。会費を集める関係で、記録が残っている。第1回目はパークホテルで朝7時半から開かれている。メンバーは当初、10人余りでにぎやかであった。肥後先生、宮沢先生、ツムラの金丸さん、カネボーの藤本さん、九薬の石塚さん、原口薬局の原口先生などであった。付きあいの関係?でメーカーさんの中にはこの地味な抄読会に参加を希望される方が相次いだが売り上げにつながらないことが分かると姿がいつの間にか消える事が多かった。教科書として狩野先生の「免疫学」を取り上げ1年がかりで読んだ。その後、取り上げた本は「ロアットの免疫学序説」「分子病理学」「医科分子生物学」「Annual review免疫」などである。金丸さんや、藤本さん、石塚さんはことに熱心に勉強をされていた。金丸さんには、福岡に転勤されるまで会計係をやっていただいたのだが、むこうでの部署は学術であった、この抄読会に参加し、こういう世界があり自分は勉強が好きだという事が分かり新しい生き方に繋がったと話しておられた。金丸さんの後に会計係りを引き受けて下さったのは佐藤製薬の遠矢さんだ。金丸さんと同じように几帳面な方で、ささやかな会ではあるが仲間との連絡、事務、花見の段取りなど実に細やかに面倒を見ていただいた。昨年、四国に転出され、同じような雑用を現在は林さんがしてくれている。林さんは興和新薬に入社するとすぐに鹿児島に配属になり、この会に入って来られた。長い付き合いゆえ、結婚披露宴では新郎側の挨拶をさせられた。披露宴の一月も前からどうやって褒めようかと、そればかり考えていた。当日、並み居る興和の上司のお歴々の前で免疫懇話会での彼の真面目な勉強ぶりをこれ以上ないというくらい褒めちぎり、明るいスポーツマンで頼もしい人材であるのでやがては興和を背負って立つ人間となろうと持ち上げた。そのせいか?彼は興和新薬の課長に32歳で抜擢され鹿児島の営業所所長になっている。
 ところで、小生の診療の領域には、アトピー性皮膚炎という疾患がある。この疾患をどういう風に考えたらいいのかいまだによく分からない。その発症のメカニズムを解き明かす画期的な論文が出て来ないものかと「臨床免疫」の目次に目を通すがなかなか見当たらない。この疾患で非常に多くの論文が発表されているので、そろそろそれらをまとめきれる一人の研究者による著書が出てこないものかと思っている。
 さて、そのアトピー性皮膚炎であるが、今から約20年位前全身の皮膚に紅斑や丘疹が生じて来院するクランケをよく目にするようになった。そうした人たちの症状を軽減するのにステロイドは効果的であり、実際良く効いた。しかし、その効果は一時的に過ぎないのは当然のことでクランケが生活している環境から悪化要因を取り除かねばいつまでもステロイドの世話になるしかない。クランケ自身の管理が悪ければ症状を軽減する為により作用の強力なステロイドを処方せざるをえないのが皮膚科医の診療の実情ではなかったかと思うし、現在もさほど状況が変わっている訳ではない。それからしばらくすると、顔から頚、肩にかけて皮膚が赤く焼けたようなクランケを見るようになった。ちょうどその頃、今から十数年前のことであるが、あるTV番組が皮膚科医がアトピー性皮膚炎にステロイド外用剤を無秩序に処方し大変な薬害が生じているといった問題提起をして社会問題になった。皮膚病患者のかなりの方がステロイド忌避になり困ったものである。脱ステロイドを試みる皮膚科医が多く出現しそのような主旨の学会発表には多くの聴衆が集まっていた。小生も可能な限りステロイドを切る方向に舵をきった。その結果、小生のクリニックにはステロイドの必要なクランケはそれなりの皮膚科医に転医しステロイドを不要とする決意の固い一部のクランケと軽症のクランケが残った。クランケの周りで公害と言える程の短時間に大きな環境の変化があった訳ではないようなので、現代文明の進歩に生体がうまく適応出来ずにこの皮膚疾患は発症している様に見えたものである。
 確かにステロイドを塗り続けているとステロイド依存性が出来上がる事がある。すべてのクランケに起こる現象ではなさそうだが、ステロイド外用剤の使用量が少ない場合でもステロイドを止めたとたんリバウンドがおこりびっくりさせられる事がある。又、アトピー性皮膚炎患者の中にはたまに環境の中の悪化要因が自然に去りステロイドの依存性そのものが悪化要因として残っているということがある。ステロイドを切りリバウンドを乗り越えると落ち着いてしまう人たちである。民間療法でも良くなってしまうのでマスメディアが取り上げやすい一群のクランケたちでもある。ステロイド外用療法で経過をみているとその潮目は余程気をつけていたとしても分からないと思われ治療を難しいものにしている。
 皮膚科医になり27年が経つ。浅学の為、先にも書いたがステロイド外用剤という薬についていまだに分からないところがある。従って、小生はデルモベートなどのストロンゲストクラスの外用剤を単独で処方することは年に数回しかない。たまに他科の医療機関でこのクラスの外用剤を処方され治療するが良くならないと言って小生のクリニックを受診される方がおられる。正確な診断がついていないのに力でねじ伏せるようなこの薬を何故使うのだろうかと思ってしまう。生後3ヵ月の乳児脂漏性湿疹にデルモベートが処方されていた時は患者家族の前で声を失ってしまった。ところでこの乳児脂漏性湿疹がアトピー性皮膚炎とは別の疾患なのか同じなのか明らかになっていない。アトピー性皮膚炎の診断基準を読むとこの両者は皮疹が生じてから2ヵ月以内で軽快するか否かで鑑別するしかないのだろう。いずれにしても生まれた時にすでにこのような発疹があったと言う話は聞いたことがないし小生がまだギネで仕事をしていた頃、そう言う赤ん坊を見たことは無かったのでやはり、アトピー性皮膚炎の発症の準備は胎内の時代にあるとしても誕生後の環境が大きいのだろう。
 アトピー性皮膚炎患者では免疫応答の流れがTh2の方にシフトしていると考えられる。乳児期は食物アレルゲンに対して特異的IgE抗体が作られることが多いことから腸管免疫との関連の研究がある。又、衛生環境を取り上げた研究報告もある。分娩時に赤ん坊は母から腸内細菌、ことに大腸菌を誕生プレゼントとして受け取る。すぐさまそれらの菌は赤ん坊の腸内でコロニーを作り腸管免疫がやがて正常に作動するよう誘導する。又、母乳もTh1優位を導くように作用する。これらの論文を読むとアトピー性疾患を発症してくる人たちは母親が分娩から産褥期に抗生物質を投与されたとか、産褥期の感染防止の為の徹底した消毒、あるいは初乳をやらなかったかといったこの辺の小生にとっては産科の通常の業務あるいは些細な事件としか思われないようなことがきっかけで本当に発症してくるのであろうかと思ってしまう。又、新生児期から乳児期に抗生物質を投与されるとTh2に傾きやすいと言われているし逆に床に落ちた菓子を拾って食べるような子はアトピー性疾患が少ないなどと言う報告がある。それではとBCG接種後、発疹が良くなる子が出るかと楽しみに診ているがはっきりした変化は無く、すでにTh2の方に流れ出した免疫応答の方向を変えるのは今のところ難しいようだ。その流れを変えることが出来そうなコレラトキシンBサブユニットにオボムコイドやオヴアルブミンを組み込んだワクチンの開発が始まるのはいつのことだろうか。
 最近では食物アレルギーが認められるアトピー性皮膚炎はあるのだが、それは一部のクランケで、食物に対しIgE抗体があっても発疹とは無関係であるというような意見が一般的である。しかしながら、例えばT型反応とはちょっと違うのだが、W型アレルギーの話で、ある物質でマウスを経皮的に感作して接触皮膚炎反応を惹起した後でそのマウスに経静脈的に同じ物質を投与すると惹起部に又、同じような皮膚炎が起こるのである。アトピー性皮膚炎では食物アレルゲンに対する特異的IgE抗体を細胞表面につけたマスト細胞が皮膚にも多く存在していると思われる。又、数は少ないが食物アレルゲン特異的Th2も存在しているであろう。食後しばらくして腸管から吸収された食物アレルゲンは血液の流れに乗り炎症が繰り返し起こっている部位で反応を起こしているようにみえる。実際、乳児や小児のアトピー性皮膚炎患者でアレルゲン除去食をとってもらうと皮疹が軽快することが多い。マウスでの実験ではアトピーモデルでマスト細胞が不要な系があったり、OVA特異的IgEだけで出来上がる系があったりする。又、Casp1を組み込んだKCASP1Tgマウスで起こってくる現象は「自然型」?アトピー性皮膚炎と名づけられて報告されている。自然型とは人と同じような発症の経過をたどるモデルを言うのであり特定の遺伝子を組み込んだトランスジェニックマウスの系で起こる現象を指すのでは無いように思うのだが。これらの動物実験の結果を一体、人にどこまであてはめて考えることが出来るのだろうか。
 腸管の機能は年齢と共に成熟していき小学入学の頃には食物アレルギーを持ったアトピー性皮膚炎患者は確かに少なくなってくる。免疫応答の流れがTh2の方にシフトしたままの人たちは環境アレルゲンに感作され成人型のアトピー性皮膚炎のパターンをとってくるように見える。重症化してしまう人たちはどこに問題があるのかと考えさせられる。こうした患者群の詳細な臨床的な解析が望まれる。そして重症患者用の治療のガイドラインの作成が必要だと思われる。
 この数年、たまに重症化したアトピー性皮膚炎の小児例を経験することがある。十年前には無かったような現象ではないか。いや、ただ小生のクリニックに来なかっただけの人達なのか。皮疹が重症化し汎発化し、強力なステロイド外用剤でないとコントロール出来ない。5、6 歳だというのにIgEはすでに5000とか6000とか言う単位である。調べる限りのRASTでIgE抗体が出来上がっている。アトピーではなく他の鑑別疾患群の患者かと思っているうちにどうもその手ぬるさにあいそをつかされ転医され調べきれていない。が、反面、消えてくれてほっとしているのも正直なところである。
 私達はかつて経験した事の無い世界で生活をしている。現代文明は環境のみならず生体そのものも破壊する方向に向かっているように見える。そのひとつの現象が今、我々が目にしているアトピー性皮膚炎ではないだろうか。TVをはじめとするマスメディアが取り上げなければならなかったのはステロイドを投与した皮膚科医師の責務よりその背景にこそ目を向けられなければならなかったのではないかと思われる。
 来月の 9 日は200回目の抄読会を久しぶりに夜に開くように計画している。「臨床免疫」の論文を読んだ後で懇親会を開くのだが、免疫の話題よりドイツW杯の方で話が盛り上がりそうである。日本がブラジルを相手にどんなサッカーができるのかそしてブラジルが日本を相手にどんなサッカーを見せてくれるのか今から楽しみだ。(2006. 5 .21)

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