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40代前半の頃から、仏教への関心が強くなり、仏教関係の本ばかり購入する時期がありました。もちろん、読めなかった本がほとんどだったのですが。もともと、父方の祖父が熱心な真宗門徒でしたので小学生の頃までは、毎日の朝夕のお勤めで「正信念仏偈」を唱えていました。「朝には紅顔ありて」の蓮如上人の御文章も、恐怖感とともに、ほとんど覚えてしまいました。また生まれ育ったのが、弘法大師空海の生誕の地、香川県善通寺市でしたので、幼少時に聞いた白衣姿のお遍路さんの御詠歌と、なんとも涼やかな鈴の音色が今も耳の奥に残っています。そんなところから、親鸞と空海が私のとても好きな宗教家です。もちろん、2人は仏教の教義のうえからも、宗教家としての生き方まで、まったく異質な存在なのでしょうが。しかし、読んだ本は圧倒的に親鸞と蓮如関係が多かったようです。丹羽文雄の『親鸞』と『蓮如』、特に『親鸞』は何度も読みました。そんなことで、当時は「還暦を過ぎたら仏門に入りたい」と何度も家内に話していました。しかし早いもので、いよいよ還暦も近くなってきた今日この頃は、家内から「あの話はどうなったのかしら」と冷やかされています。「仏門に入ったら好きなお酒も呑めなくなるからね。だから、あの話は止めにする」などと、身勝手な言い訳をしては二人で笑っています。
ところで、50代になってからは、仏像の鑑賞とか、禅寺の庭園、特に枯山水の庭園などの仏教美術に、興味をもつようになりました。平成3年頃から国東半島の古寺巡りを始めとして、御朱印帳を持って、京都と奈良の寺々を訪れることが多くなりました。御朱印帳も現在は2冊目となりました。昨年(平成17年)の春も平成10年9月の台風で破損し、その後、平成12年10月に修復完成した室生寺の五重塔を拝観してきました。参道のシャクナゲが、ちょうど満開で、堂塔を美しく彩っていました。10年前に1度訪れたことがありましたが、その時と比べて、多くの杉が倒木したためか、境内がとても明るくなっていたのが少し残念でした。五重塔は、朱の塗りも以前とそれほど変わりなく可憐で美しい姿に安堵いたしました。
さて、この15年間で訪れた多くの寺々のなかで、私のお気に入りの「古寺」を紹介してみます。まず、何といっても、やはり「女人高野」室生寺です。五重塔、金堂は、国宝の美しい建物です。また金堂内陣の仏像群は、とても素晴しいものです。十二神将像と「とても美人で色っぽい」国宝の十一面観音像は、私の大好きな仏様です。
次は、登廊(のぼりろう)で有名な「花の寺」長谷寺です。『源氏物語』や『枕草子』、『更級日記』等にも描かれているように、古くから参詣者が多いお寺です。登廊は400段近くのゆるやかな石段と柱と垂木から下がる釣灯籠が整然と並び、とても美しいものです。牡丹の時期は、さらに美しさの魅力が増します。国宝の本堂は、舞台が付く大建造物ですが、ここからの眺望は周辺の山々のなだらかで美しい姿がとても印象的です。
京都の臨済宗系の大寺院には、境内に多くの塔頭(たっちゅう)子院がありますが、拝観可能な名園が数多くあります。大徳寺、妙心寺、南禅寺、天龍寺などです。
京都の門跡寺院は、青連院が粟田御所、仁和寺が御室御所、大覚寺が嵯峨御所と呼ばれているように、境内にある数多くの建造物には風格があり、庭園もまた素晴しいものです。風情のある楠の大木が門前にある青蓮院は、観光客も少なく私の大好きな寺院のひとつです。仁和寺、大覚寺・曼殊院、そして、観光客がとても多い大原三千院、どの寺院も魅力がいっぱいです。
皇室ゆかりの御寺(みてら)泉湧寺は、広い境内に白い砂利が敷き詰められていて、神社の雰囲気をも感じてしまう不思議な魅力を持った大きな寺院です。
清水寺の近くにある高台寺は、秀吉の夫人北政所(ねね)の遺体を祀ってある寺ですが、その霊屋(おたまや)では彩色華麗な 「高台寺蒔絵」を観ることができます。高台寺は、北政所が秀吉の菩提を弔うために、家康の援助をうけ開創したものですから、とても壮観ですが、境内のすみずみに女性らしさを感じるとても優美な寺院です。秋の紅葉の頃、夜ライトアップされますが、庭園の池に映る紅葉と堂塔は幻想的で、息を呑むほどの美しさです。
鞍馬寺は、今では京都駅からでも地下鉄、京阪電鉄、叡山電鉄を乗り継いで、1時間程度で行けます。本殿金堂に祀られている本尊は「尊天」といわれていますが、千手観音、毘沙門天、護法魔王尊(天狗のようですが)の三身を一体としたものだそうです。「尊天」は、森羅万象あらゆるものの根源であり、宇宙エネルギーであり、真理そのものである、とのことです。「護法魔王尊」といい、奥の院魔王殿への参道の「木の根道」といい、鞍馬寺には普通の仏教寺院とは異質な不思議な魅力が感ぜられます。
滋賀では、瀬田川添いにある石山寺が、紫式部ゆかりの寺として有名です。優美な多宝塔、瀬田川を見下ろす月見亭、舞台造りの本堂、参道を美しく彩る花々、いかにも女性好みのお寺です。
「三井の晩鐘」で知られる三井寺(園城寺)は、仁王門、金堂、三重塔などの重厚な建物が、広大な境内に点在しており、また、歴史と伝説のロマンも楽しめます。観音堂からの琵琶湖の眺望も素晴しいものです。
坂本は、石垣の美しい町です。延暦寺の里坊が、今も約50散在しているとのことです。そのなかで、延暦寺の本坊になる滋賀院門跡は、穴太衆積み(あのうしゅうづみ)の高い石垣の上に、白土塀をめぐらせた風格のある寺院です。日吉大社は、さすがに規模の大きい神社です。渓流も走る広い境内には、東西に両本宮があり、末社の数も100を超えるそうです。ところで、坂本からはケーブルで比叡山に登れます。
堅田の浮御堂は、湖上に建てられた小堂で、水に浮かぶ能舞台の趣があります。ほんとうに女性的なかわいいお堂です。
紅葉の頃の京都で好きなところは、栂尾高山寺、高雄神護寺、嵯峨野の二尊院と常寂光寺、南禅寺の近くにある永観堂、哲学の道沿いの法然院、東山南麓にある臨済宗の大寺である東福寺、北白川の詩仙堂、岩倉の実相院などです。しかし、この時期は、おおぜいの観光客が押し寄せてきており、ゆっくりと拝観できないのがとても残念です。
奈良では、東大寺大仏殿の裏から二月堂にいたる小径がとても好きです。観光客も少なく、石畳と土塀の道は清浄感があり、とても気に入っています。二月堂の舞台からは、大仏殿の屋根が思ったより遠くに見えます。また、奈良市街の眺望も素晴しいです。法華堂は、東大寺最古の建造物です。堂内には、本尊不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)を中心に、十五体の仏像がまつられています。日光、月光菩薩、執金剛神、梵天、帝釈天、四天王など、国宝の天平仏がずらりと並んでいます。堂内は静謐で、時を超えて天平の美が息づいています。
京都、東寺の講堂には大日如来を中心に、二十一体の密教仏が整然と並んでいます。講堂内に入りますと、いならんだ異形の諸仏像がかもしだす神秘的な雰囲気とその美しさに圧倒されてしまいます。空海が密教の教義に基づいて構想した立体曼荼羅だそうですが、空海らしいスケールの大きさを感じてしまいます。東大寺法華堂と東寺講堂の仏像群は、どちらも魅力がいっぱいです。
ところで、志賀直哉、林芙美子で代表される文学の町尾道は、またお寺の多いことでも有名です。真言宗の千光寺が、尾道の中心にあり、丹塗りの塔は、その鐘楼とともに、尾道のシンボル的存在です。古寺めぐりコースは、綺麗な石畳の小径です。持光寺を出発点に海龍寺まで、全部で24ヵ寺もあるそうです。そのうちで、私の好きなお寺は、浄土寺、西國寺、天寧寺等です。特に浄土寺は、国宝の本堂をはじめ、朱塗りの堂塔が美しく、収蔵品の数からも、中国地方で屈指の名刹といわれています。
平成7年9月22日、鹿児島地方には台風が接近してきていましたが、以前から強く憧れていた高野山にお参りをするため、家内と二人、JRの夜行寝台で鹿児島を出発しました。翌23日は、南海難波駅から電車とケーブルを利用し、高野山の金剛峯寺、壇上伽藍、奥の院御廟などを無事拝観できました。ちなみに23日、鹿児島市は夜間には暴風雨となり、瞬間最大風速は56メートルだったそうです。ところで、奥の院では多くの白装束の巡礼者たちを、目の当たりにしました。そのときから「自分もぜひ、四国八十八ヵ所巡礼の旅をしてみたい」と強く思うようになりました。
平成7年12月23日は、とても風が強い日でした。午後になり、私と高齢の両親(父はこの年の7月に胃癌の手術を受けていました)との3人で、香川県丸亀の実家近くにある宇多津の第七十八番札所郷照寺に参詣いたしました。目の前には瀬戸大橋が見えましたが、海からの強風のため、3人とも帽子が飛ばされそうになり大変でした。しかし、そのときの写真を見ますと、母が帽子を手で押さえながらも、とても嬉しそうに笑顔で写っているのが強く印象に残っています。ここ郷照寺は、八十八ヵ所のなかでもめずらしい、時宗のお寺です。さっそく、納経帳を購入して、御朱印を押していただきました。この日は、この後に、多度津の第七十七番道隆寺をお参りしてから、私ひとり、JRで鹿児島に帰りました。それからは、連休がくるたびに私が父の車カローラを運転し、父には助手席でナビゲーター役を、母には後部座席でお寺の案内書などを調べる役をして貰いながら、3人での八十八ヵ所巡りが始まりました。結局、平成12年5月3日に大窪寺で結願するまでの5年間で、つごう19回、鹿児島と丸亀を往復することとなりました。
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