新春随筆
カ リ ア リ 大 学 訪 問 記

鹿児島大学大学院社会行動医学講座(心身医療科) 乾  明夫



 イタリア本島の西側に位置するサルディニア島の中南部カリアリ市に、350年の歴史を持つカリアリ大学がある。そこの腫瘍内科学(Medical Oncology)講座の主任教授はMantovani先生で、小生とは癌性悪液質の臨床、研究や癌性悪液質に関する本の出版で一緒にさせて頂いた間柄である。小生が鹿児島に来るまでの昨年秋から今年春まで、Dr Simona Pervoniがマントバニ教授の研究室から神戸に留学してくれ、動物実験や総説の執筆等、文字通りハードワークをこなしてくれた。その彼女の学位授与式があり、神戸時代のデータで学位を取るために、僕に来てほしいという依頼であった。翌週には同じくイタリアのローマで国際悪液質シンポジウムが開催され、発表しなければならなかった為に大変慌しい思いで、3日間だけカリアリに滞在したが、大変実りのあるまた思い出に残る滞在となった。

      

       カリアリ大学での学位授与式
中央がマントバニ教授、左端がシモナ・ペルボニ博士



 鹿児島からは長旅であり、カリアリに到着したのは夜10時30分頃であったが、シモナが空港まで迎えに来てくれ、そのままホテルまで送ってくれた。彼女は半年間日本にいたこともあって、なかなか日本人的に配慮してくれ、嬉しく思うと同時に彼女の好意に甘え、翌日から市内見物を彼女の車で色々とさせて頂いた。彼女はなかなかの美人、才人で、イタリア語以外に英語、フランス語が堪能である。もし彼女にボーイフレンドがいなかったら、医局のK先生をはじめ是非紹介したいのだが、彼女のボーイフレンドはなかなかハンサムな理工系の研究者であった。
 翌第2日目は、朝からマントバニ教授を訪れた。カリアリ大学は3つほどのキャンパスに分かれているが、医学部及び病院は古い歴史のある建物から、新しい建物へと移転が行われていた。イタリア語はラテン語に由来すると言われている通り,Anatomica、Pathologicaといった医学上の単語はある程度理解することができ、嬉しかった。マントバニ教授は威風堂々としていて、見るからに教授らしく、若い人たちは彼の姿を見かけると椅子をすすめたり、色々と気を使っていたが、なかなかの好人物である。化学療法のデイケアセンターや病棟をくまなく案内して頂いたが、やはり外来部門は充実しているように思った。彼はいきなり病室に入り、僕に色々と説明してくれたが、患者さんは少し驚きつつもにこやかに迎えてくれた。そのマントバニ教授も、患者さんや家族の質問にはにこやかに応じ、このようなお互いあまり気の使わない医療従事者−患者関係は、日本で行われているワンパターンの投書箱とは異なり、見ていて気持が良かった。
 昼食はイタリアンコーヒーとピザを頂いた。病院のこぎれいなスペースで、超濃厚なイタリアンコーヒーを飲み、教授を囲んで入念にディスカッションをするのが習わしのようである。この昼食の時間はそのためにきっちりと取るが、あとはハードワークで1日12〜14時間働くとのことであった(ちなみに、土曜日はおおむね休暇である)。チョコレートの粉末がかけてあるミルクたっぷりのコーヒー (名前を忘れてしまったが)はなかなかおいしかった。ピザも日本のピザと全く異なり、パンの部分は柔らかく、チーズ臭さもなくて、大変美味であった。しかしこれでもなお、本物のピザは違うとのことであった。こだわりであろう。
 昼食後はシモナの案内で、カリアリ地方の宮殿を中まで見せてもらった。国王や貴族に加えて、セファロスポリンの発見者の肖像も見ることができた。カリアリ地方の旗は3種類あり、一つはイタリア国旗、一つはヨーロッパユニオン、そしてもう一つの旗には驚くべきことに、4人の黒人が描かれていた。ローマ時代に、カリアリ地方は4分割されて統治されたが、それ以前にもしばしばアフリカからの侵入をうけたために、あのような旗になったとのことである。アフリカ地中海沿岸に、そのような高度文明を有するところがあったとは全く知らなかった。
 夜はマントバニ教授の自宅に招かれ、白ワインで奥様手作りのイタリア料理を味あわせて頂き、幸せであった。カリアリ地方の海は大変美しいが、魚が豊富であり、夕方に出されたものは70cmはあろうというタイ(?)の一種で美味しかった。教授の自宅は6階建てのマンションの6階にあり、市内が見渡せる広いベランダがついている。エレベータを上がるとそこが玄関で、調度品はイタリアの絵画、刺繍、置物などで満ちており、歴史と文化の雰囲気にあふれていた。
 翌日は40〜50分間、大変つたない中学生英語で、共同研究を展開するために、グレリンペプチドの話を行った。その中に、桜島や指宿、屋久杉などのスライドを入れておいたが、なかなか好評であった。西郷隆盛−ラストサムライのスライドもうけたが、日本文化を一つの対極として、非常に好意的に捉えられているようで嬉しかった。ある意味では、日本とイタリアは類似しているのであろう。夕方からは、シモナを含む4人の研究者が学位のプレゼンテーション、ディスカッションを行うことになっていた。5人の教授がチェアーをして、なかなかカラフルなまた凝ったスライドが出された。驚いたことには、この式には両親、家族が一緒に参加していることで、シモナの場合は両親は勿論、恋人まで参加していた。このやり方は大学院生にはなかなか気合が入ると思われ、鹿児島大学で行ってみてもおもしろいと思われた。
 その夜は、マントバニ教授夫妻や何人かのドクターを含めて、シーフードレストランで美味しいイタリア料理をごちそうになった。サルジニア島の赤ワインも、少し表現は適切ではないかもしれないが“枯れた”味があり、本当に美味しかった。その席上、今後のお互いの教室の医局員の交換、共同研究の進展に関しても実務的な話が行われ、来年秋からアレサンドラという若いイタリア美人が、心身医療科に6ヵ月間来てくれることになった。 彼女は独身とのことであるが、フランス語が得意であり、医局のみんなには少しイタリア語かフランス語を勉強するように言っておこう。
 最終日の3日目は、シモナが教会に連れて行ってくれた。彼女は実によく歴史のことを知っており、教会の絵画や彫刻のことをガイドのように説明してくれた。その後は海辺に連れて行ってくれたが、ピンク色をしたフラミンゴを湖でみることができ、昔大学院の頃、ケニアで湖の色がピンクに見えるほどのフラミンゴの大群を見たことを思い出した。アフリカが近いことを実感すると同時に、ケニアでの学会に参加した時は、ケニア・エジプトに教授も含めて20日間旅したことを思い出した。今回はたった3泊の旅であり、最近の海外出張はすべて一週間以内である。昔はきっと、時代がおおらかであったのであろう。
 心身医療科の大学院生を早ければ今年、カリアリ大学に送りたいと考えている。その際には是非、ついてゆきたいものである。異国での生活には、日本と異なる空間が存在する。その一つが、教会からそれほど遠くない場所にあったカフェバーであり、入ってみたが、中は恋人たちでにぎわっていた。石造りの階段を降りると、絵画や調度品が置いてあるその空間の中で、昼はコーヒーを、また夜はワインバーとしてワインを楽しむことができる。このような所は日本にはないでしょうとシモナが言っていたが、確かにその通りである。できれば若いときに来て、時折ワインバーでゆっくりとした休憩の時間を(できれば恋人同士の時間を)味わいたかったものである。そうだ、今からでも遅くはあるまい!僕が留学に行こう!(ええいいですよ、先生。一年でも二年でもどうぞ!医局の声?)

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